何も言われないのは、何もしていないから
""非難されているかどうか""が問題なのではない。
よきにつけ悪しきにつけ、動けば風は起こる。
何も言われないのは、何もしていないからである。
問題は""誰に非難されているか""である。
善人は悪人に非難され、悪人は善人に非難される。
この本質をきちっと見ていくことである。
日蓮大聖人は、ご自身のことを、こう言われている。
「いまだかつて法華経のために、三類の強敵に怨まれた者はいない」と。
そして厳然と宣言しておられる。
「愚人にほめられることが第一の恥である」
牧口先生も、戸田先生も、つねに、この御文を拝しておられた。
""大聖人がご照覧くだされば、それでいいのだ""と。
大聖人にほめられるかどうかー
ここに、信心の唯一にして絶対の基準がある。
この一点に心を定めれば、人生は晴れわたる大空のごとく、
何の迷いもないはずである。
輝きの人間世紀へ 御書とその心 難・迫害より一部抜粋
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