極悪と戦えば極善となる

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最上第一の相伝をふみにじった宗門

「最上第一の相伝あり、釈尊八箇年の法華経を八字に留めて末代の衆生に譲り給うなり、
八字とは当起遠迎当如敬仏の文なり、此の文までにて経は終るなり当の字は未来なり、
当起遠迎とは必ず仏の如くに法華経の行者を敬う可しと云う経文なり」
        (御義口伝 下 普賢品六箇の大事 第六此人不久当詣道場の事)



""未来にあらわれる法華経の行者を、必ず仏のごとく敬っていきなさい""というのが
日蓮大聖人の「最上第一の相伝」なのである。


大聖人が日興上人に相承されたのは、日興上人が本門弘通の大導師、広宣流布のリーダーにふさわしい戦いをしてきたからである。


師匠と共に大難を受け、苦楽をともにし ""師の思いを我が思い""とし、先陣を切って折伏弘教に全力をあげられ、23歳の若さで岩本実相寺の改革に立ち上がられている。


日興上人は、


「身軽法重の行者に於いては下劣の法師なりと雖も当如敬仏の道理に任せて信敬致す可き事」


と明確にご遺誡されている。


ところが67世阿部日顕は自分は折伏一つしないのに、宗門発展の大功労者の池田先生を「当如敬仏」の道理に任せて信敬するどころか、法華講総講頭を罷免、そして学会を破門。


「此の内一箇条に於ても犯す者は日興が末流にあらず」


と仰せられているように大聖人からの最上第一の相伝をふみにじった現宗門は、日興門流を名乗る資格はないのである。