広布破壊の極悪人 山崎正友②
苦水重徳(くみず しげのり)氏 (元公明党 岡山市議会議員) の証言
(山崎が司法修生時代のエピソード)
当時、苦水は男子部の中心者で、
京都から帰ったばかりという正友を印象深く記憶している。
「彼は学生部の班長として帰ってきましてね。よれよれの背広を着ていたと思います。いかにも病気あがりの顔で痩せていました。」
「彼は最初のころは皆の前で話すときもブルブル震えていたんです。うちの男子部はあれで本当に京大生なんかと言っていたくらいです。」
いまとなっては「あんな大悪党とは夢にも思わなかった」という苦水だが、「少なくとも僕の目の前では"悪の尾っぽ" は全然出していない」と言う。
山崎正友は岡山時代、自動車免許を取得した。あるとき正友がいう。
「苦水さん、わしは悪運の強い男じゃ。自動車免許も一発で通ったよ」
「あんた、(裁判所勤務をいいことに) 警察とおしてとったんじゃねえか」
「そんなことしてねえよ」
苦水は、そんな冗談をいったことを覚えている。
「行動力はありました。割合折伏もしていましたよ。当時、岡大の医学部に沖縄出身の学生がいたのですが、彼がよく面倒みていました。結果は実らなかったですがね。」
苦水は山崎正友と活動を共にしたものの、一緒に唱題した記憶はないという。
「熱心に拝んどった姿がどうしても彷彿としてこないんです。見たことがねえ。」
岡山時代に一緒に活動した人たちに共通していることは、山崎正友と共に信仰の基本とされている勤行や唱題を熱心におこなったと証言する人がいないことだ。
(サイコパスの犯罪元弁護士山崎正友の心の闇 中田光彦著)
以上のエピソードからも、山崎が仏道修行の基本中の基本である勤行、唱題がきちんとできていなかったことが伺える。幹部であっても、教学があっても、信仰の根本である勤行、唱題がきちんとできていない人は全く信用できない。いくら立派そうな理屈を並べ立てても、心に響かないのである。
彼は、京大のエリート出身である。しかし、そのため慢心していたのだろう。
自分を謙虚にみつめることをしなかった彼は、いとも簡単に『第六天の魔王』の生命に支配され、自己の醜い欲望のために、他人を平気で食い物にするようになるのである。
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