極悪と戦えば極善となる

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悪には対しては根に持っていかなければならない

広宣流布においては、日蓮大聖人を裏切り、同志を裏切った悪人を、徹底的に追及しなければならない。日本的な「水に流す」とか「みそぎ」とかいう慣習は、一見、寛容のようであって、じつは「悪への怒りがなく、けじめがない」だけである。「もう、この辺でいいだろう」は精神の敗北である。


日蓮大聖人も、日興上人も、どんな小さな悪も許されなかった。
仏法は、「人情論」ではない。「正義の大闘争」である。


日興上人も、「五老僧」とその一味を、最後まで許しておられない。
「五人所破抄」を弟子に書かせたのは、身延離山から数えて、なんと四十年後である。
ご入滅の直前の「日興遺誡置文」でも、厳しく「五老僧たちの立てた宗義は、ひとつひとつ、すべて師匠である日蓮大聖人のご化導と違っている」と破折しておられる。


最後の最後まで、追撃の手をゆるめておられない。


           (輝きの人間世紀へ 御書とその心より一部抜粋)