苦悩を突き抜けて歓喜へⅡ 母の難病とお題目のチカラ
私の母は、15年ほど前から難病を患い、自由に歩けなくなった。
ある日、そのことについて幹部に指導を受けた。
「母は、女子部のころから信心を頑張ってきたのに、なんで難病になったのですか?」
するとその幹部の人はニッコリ笑顔でこう答えた。
「お母さんが長年、信心に励んできて病気になった。これは功徳だよ」
・・・・え?病気になったのが功徳?わけわからん・・・
納得いかなかった私は、スッキリするまでお題目をあげようと思い、5時間、6時間とひたすら唱題会を重ねた。お題目をあげているうたに、自分の中の不信の生命が変わっていくのを実感した。
・・・母は、私に信心を教えるために、あえて難病の姿をしているんだ。病気になって歩けなくなっても泣き言ひとつ言わず、母は本当に強い人だ。私なら、耐えられないかもしれない・・・・
それまで‘’病気になって可哀想‘’と思っていた母に対する私の見方が変わった。
現在、入院しているが病院のスタッフから「ちゃんづけ」で呼んでもらって可愛がられ、あらゆる面で本当に守られている。お誕生会まで開いてもらって幸せそうな母をみているとこちらまで嬉しかった。
病室で母は私の手を握り「南無妙法蓮華経」と唱えた。
たとえ病気を患っていても、信心で培ってきた‘’心の財‘’は消えないんだと、
母の成仏を確信した瞬間だった。
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