母の臨終と聖教新聞
覚悟はしていたものの、入院中の母が‘’余命1か月‘’と告げられたとき、頭の中が真っ白になった。ショックでお題目をあげようとしても声が出ない。母が亡くなるまでの間、同志のラインや電話での励まし、応援のお題目にどれほど精神的に助けられたことか。
母の寿命を伸ばしたい一心で10時間唱題に3回挑戦。
が、余命1か月が、余命2、3日に。
何故?電話で幹部に指導を受けた。
「お題目をあげきって出た結果が、お母さんにとって一番、いい結果なんだよ」
よし。母の命が、あと2、3日なら、その間、私が母のぶんまで戦いきろう。
新聞啓蒙に挑戦した。
1部、啓蒙できた日、母は眠るように息をひきとった。
看取った父から、臨終の時に全く苦しまず、眠るように霊山にいったと聞いて安心したが、母を失った寂しさはやはり大きく、心の中にぽっかり穴が開いた感じで
その夜は、なかなか眠れなかった。
次の日、池田先生から「お題目を送っています」とのご伝言が。
心の中に、なんともいえない安心感が広がった。
師匠とたくさんの同志のお題目に包まれ、霊山にいけた母は最高に幸せ者だと思った。
実家に戻り、母と対面した。
半眼半口で安らかな顔をしていた。遺体を2、3日安置したが、不思議なことに日がたつほどに色が白く、肌が綺麗になった。
今日は聖教新聞の創刊記念日。
母が亡くなった日に新聞啓蒙できたことが、最高の親孝行・供養になったと思う。
実家で思い出のアルバムをみていたら、母が配達員をさせて頂いていたころの短歌がスクラップされていた。
【師の便り 今朝も届けて25Km 同志(とも)の笑顔を 思えば うれし】
追伸 お題目を送って下さった同志の皆さま、本当にありがとうございました。
母も霊山できっと喜んでいます。
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