極悪と戦えば極善となる

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一歩も引いてはならない。戦う時なんだよ。


日顕の正体-戸田第二代会長の言葉



戸田先生の慧眼は、現在の宗門の姿を見抜かれていたようである。


『大聖人様の御時代に、あるいは良観とか あるいは法然の弟子とかそういう者(の弟子などになる連中)は、一体どういう奴かというと、昔、仏法をくさした、その外道の者が生まれてきて仏法をやってですね、そうして今度は正法を邪魔するんです。そうすると今度 どうなるか。あいつら死ぬと、今度、日蓮正宗の中に生まれてくるんだよ。誠にこれ
は、おもしろいもんだぞ。』(S31年2月7日 佐渡御書講義 於 中之島公会堂)


戸田先生は亡くなる前、
『宗門に巣くう悪とは、断固、戦え。いいか、伸一、一歩も退いてはならんぞ。・・・・追撃の手をゆるめるな!』(人間革命第12巻 寂光)と池田先生に遺言された。


「創価学会に教義はなく、もともとは日蓮正宗の講のひとつで、牧口会長も法華講の三谷氏から折伏を受けたのに、その恩を忘れ、宗門に弓を引いている」、と主張する人もいる。しかし、恩があるからこそ学会は『日興遺誡置文(にっこうゆいかいおきぶみ)』に反する獅子身中の虫、「謗法を呵責せずして遊戯雑談(ゆげぞうだん)」に明け暮れてる悪侶を責めていったのである。


日興上人は「日興遺誡置文」で「此の内一箇条に於ても犯す者は日興が末流に有る可からず」(二十六箇条のうちの一箇条でも破った者は、日興の弟子ではない)と断言されている。


日蓮大聖人は、「謗法の僧を厳しく対治(たいじ)することは罪になるか」との問いに、
涅槃経の文を引いて「必ず厳しく対治しなさい。全く罪などない」(御書P85)と明快に仰せである。


池田先生は、この「災難対治抄」の御文で、悪を責めることに対して以下のように指導されている。


『苦治(くじ)』(御書P85)すなわち、仏敵が苦しむほど厳しく対治してこそ、祈りは叶う。泥を捨ててこそ、清水が飲める。雲を払ってこそ、太陽の光を浴びられる。ガンは切除してこそ、薬も効き、健康になる。極悪は徹底して""強く""責めなければいけない。この御文に照らして""責めすぎる""ということはない。ー1992・11・2ー
(輝きの人間世紀へ 御書とその心 池田大作)