極悪と戦えば極善となる

 「破邪顕正」謗法呵責をメインに記事を綴っていきます。なお、コメント欄に初投稿する場合は、軽く自己紹介をするようにお願いします。管理人が非常識、悪質なコメントと判断した場合、削除させていただくこともありますのでご了承ください。

戸田先生も見る目がなかったのか?

【同じやり取りはしませんが、こちらは大聖人が悪いなんて一言も言ってません。「彼の(山田さんの)理屈で言えば、大聖人が悪いとなってしまう。だから彼の理屈はおかしい」これが私の主張です】(鯛焼き支部長さんのコメントより一部抜粋)



「ぼくは戸田城聖に折伏されたようなもんです」(山田さん)


戸田先生の時代にも「戸田の野郎」と罵って反逆していった人間はいますが、山田さんの理屈で言えば「戸田先生もほとほと人を見る目がなかった」ということになってしまいます。
                            (名有りさんのコメント参照)

池田先生は見る目がない?


「根っからの極悪人トリオを側近中の側近の一番弟子にしたのは池田先生なんですよね(略)池田先生はほとほと見る目がないのか」


鯛焼き支部長さんのコメントより一部抜粋


【大聖人は側近中の側近である五老僧を本弟子にしましたが、結果として日蓮系の分裂を招いています。これって大聖人に見る目がなかったからなんですかね?彼の理屈でいえばそうなってしまいます。実に恐ろしい!】


【つまり「反逆者には非がなく、反逆者の正体を見抜けなかったほうが悪い(主意)」というのは、下世話な例で申し訳ないですが「痴漢されるのはスカートをはいているほうが悪い」という痴漢野郎=犯罪者に加担した論理です】

池田先生のようになれなかった福島源次郎

【伸一、仏法者というのは、騙されても騙されても最後まで相手を信じ、つつみながら相手の再起と更生を願って手をつくしていく以外にないのだよ。しかしひとたび学会に牙をむき、仏子の和合を破壊しようとしてきたなら、その時は、徹底的に相手を叩き潰すまで戦うんだ。そうでなくは、創価学会が壊され、広宣流布が攪乱されてしまうからな。邪悪を放置しておくのは慈悲などでは決してない。それは慈なくして詐り親しむ姿だ。広宣流布の最後の敵というのは内にこそある。あの五老僧を見給え。五老僧は過去の話ではない】
                                  (戸田先生)



福島源次郎(1932~1998)は、元創価学会副会長である。
小説、新人間革命では、『鮫島源治』という名前で登場している。
東京大学出身の超エリート。


福島は、私の父が男子部のとき、青年部長をしていた。
会合での熱弁、端正な容姿で人の目を引いた。
父の古きアルバムを見ると、福島もうつっていた。
俳優のような甘いマスク。
母も「すごい男前だった」と言っていた。
その写真をみる限り、とても悪いことをするような人間にみえなかった。


福島を会合で見た女性部の先輩も、「男前で、話も上手で、我々女子部の憧れの的だった」と言っていた。


しかし、人は見かけによらぬものである。
短気でこらえ性がなく、会員に対しても横柄な振る舞いも多かったようである。
「副会長から副を取ったら、何になると思っているんだ?!」
会員を指導をしている時も、最初はじっくり話に耳をかたむけているが、次第にイライラしはじめ、暴言を吐いてしまうようなこともあったようである。


彼はもともと日蓮正宗法華講にいたが、池田先生の第三代会長就任式に出席、
それに感動して自ら創価学会の門を叩いた。


新人間革命第8巻 宝剣の章で、池田先生は福島について以下のように評している。



『彼は東大を卒業し、ある企業に勤めていたが、やがて、本部の職員となり、聖教新聞社に勤務していた。彼に対する周囲の評価は二つに分かれていた。一途で純粋な人材であると言う人もいれば、本質は野心家であり、法華講から学会に入ったのも、大発展を遂げている学会に身を置いた方が得策であると考えてのことだ、と言い切る人もいた。』



『伸一も、鮫島(福島)のもつ二面性を感じていた。また、彼が、しばしば陰で先輩幹部を批判し、自分だけが学会の未来を憂いているかのように語る、性癖があることも知っていた。』


『しかし、二面性は、多かれ少なかれ、誰にでもあることだ。仏法では、善悪一如(ぜんあくいちにょ)と説き、己心に、仏の生命も、釈尊の命をつけ狙った提婆達多の生命も具わっていることを教えている。伸一は、ひとたび学会の門を叩いた青年を、なんとしても大成させたかった。』


""歳月は人間を淘汰する。彼も、三十年の間、本気になって信心に励んでいくならば、自分に打ち勝って、見事に人間革命することができるはずだ。しかし、野心、野望で動き、学会を自分のために利用しようとする心があるならば、その間に学会から離反していくことになるだろう‘’‘’


福島は、「池田先生は大聖人の生まれ変わり」「師への帰命」などと言い、妙な師弟論を説いていたが、昭和53年彼の不用意な発言(大牟田発言)により、宗門と学会の関係が一気に悪化、池田先生は会長勇退へと追い込まれた。


謹慎処分を受け、自分が将来会長になることは出来ないだろうと判断した福島は、反逆し、池田先生批判に転じた。


これは私見だが、彼は池田先生に「憧れて」はいたが、会員から「先生、先生」と慕われる「表面上」の姿だけ見て、師匠が会員の幸せのために陰でどれだけ苦労しているかを見ようとしなかったのではないか。福島はよく池田先生から「私のほうばかり見ないで、もっと会員に目を向けなさい」と厳しく指導されていたのだとういう。


【私は、ずいぶん、人から騙されてきました。利用され、陥れられもしました。弟子を名乗る者のなかにも、そうした人間がいることを知っていました。『あの男は下心があるから早く遠ざけたほうがよい』と言ってくる人もいました。それでも私は寛大に接し、包容してきた。心根も魂胆もわかったうえで、信心に目覚めさせようと根気強く、対話しました。また、幾度となく、厳しく、その本質を指摘し、指導も重ねました】


【なぜかー騙されても、騙されても、弟子を信じ、その更生に全力を注ぎつくすのが師であるからです。それが、私の心です。しかし、悪の本性を露わにして、仏子である同志を苦しめ、学会を攪乱し、広宣流布を破壊するならば、それは、もはや仏敵です。徹底して戦うしかない。そこに躊躇があってはなりません】
                    (新人間革命30巻下 勝ち鬨 池田先生)