極悪と戦えば極善となる

 「破邪顕正」謗法呵責をメインに記事を綴っていきます。なお、コメント欄に初投稿する場合は、軽く自己紹介をするようにお願いします。管理人が非常識、悪質なコメントと判断した場合、削除させていただくこともありますのでご了承ください。

梵我一如さんへ

『戸田会長が確信犯なのかあなたがどういう思いで記事を書いているか知りたかっただけです』


それ、シンプルに聞いてきて欲しかったです。


戒壇本尊の件に関しては、信仰の根本にかかわる大事なことなので、私としてもいい加減に答えるわけにはいかないと思い、真剣に唱題して、たくさんの文献を調べて自分なりに答えを出したものです。



このブログを立ち上げたとき、内外問わず、四方八方から総バッシングを受けました。
覚悟はしていたので後悔はしなかったものの、今だに『こんな記事を書くとまた叩かれるかもしれない』という恐怖と戦いながら記事を更新しています。



私は人格者でも、何でもありません。
ただの凡夫ですよ。でも、常に自分自身をみつめて人間革命しようと努力はしています。


学会活動もありますから、常にブログにつきっきりというわけにはいかないので、時間はかかると思いますが、ご質問に対しては一つ一つ思索してからお答えしていきますよ。


それに対してどう思われるかは、貴方様の主観に任せます。


波田地克利と宮川雄法(日護)

ミニ山崎正友・波田地克利と宮川雄法(現・日護)について


最近、創価新報でもよく取り上げられるようになったが、波田地克利は元・本部職員で教宣部の活動や職務を通じての人脈を悪用、学会内で厳禁とされている「組織内組織」をつくり、組織を攪乱するなど職員の立場を悪用して諭旨退職処分となり、2013年12月には会員除名処分となった。


数年前から仲間と一緒に「宿坊の掲示板」で「学会の執行部がおかしくなった」「新人間革命はゴーストライターが書いている」「天魔が富士宮から信濃町にうつった」等、デマの情報で執行部へ誹謗中傷を繰り返し、「本物の弟子である自分たちが学会執行部を倒さなければいけない」と、自分たちこそ真の池田門下であると喧伝。


その波田地が、あきれたことに最近、日蓮正宗に出入りしているらしい。
教宣活動で、日顕を糾弾していた者がなぜそんな無節操なことが出来るのか。
かつての山崎正友のように宗門を牛耳れるとでも思っているのだろうか。



その波田地一派と元職員3人組にすり寄っていったのが、元・日蓮正宗改革同盟の宮川雄法(現・日護)。宮川は学会の会館寺院で金銭不祥事をおこし解任になったが、それを不服として寺に居座ったため寺院明け渡しを求められ提訴されて、敗訴。


一介の坊主に身をやつしていたが、日興門流の古刹・保田妙本寺に目をつけ近づいて行き、2016年、突如「能化就任」を宣言し、「雄法」から「日護」という日号に改名。


ところが昨年の2018年9月、法華講員から


『「日護」なる日号は、保田妙本寺でもらい受けたものなのか』
『保田妙本寺の能化ならば教学的な質問に答えよ』


と追及を受けると


『妙本寺の能化という表現は正しくない』


といとも簡単に前言を翻した。



宮川は日蓮正宗改革同盟時代、あれほど日顕を糾弾していたにもかかわらず、


「若気の至り」「優れた御人格を傷つけました事は、再び、お会いする機会があれば、心よりお詫びしたいと思います」


と自身のFacebookに謝罪を記載。



生前の山崎正友が日顕のことを「相承なし」として


「ゼニゲバ」「独裁者」「まことに信仰心のうすい功利主義の権化」


等々、週刊誌で散々こき下ろしていたのに、日顕に利用価値があると思うとコロッと前言を翻し手紙で、


「御法主上人猊下の御慈悲により、富士の清流がたもたれたことを、後世のご僧侶方は感謝されるでしょう」「人格高潔な方ほど、苦痛を味わ(ママ)されるものです」


とゴマをすっていたのを思いおこす。


旗色が変われば何の羞恥心もなく前言を翻す変わり身の早さ、
宮川も山崎と同類の人間だとわかる。



さらに宮川の不可解な行動が、日顕に謝罪後も『池田先生の一番弟子』と吹聴しているところ。信心がない宮川は、自らを権威づけるため利用できるものだったら、日顕でも池田先生でも、どちらでもいいのである。



梵我一如さんのご質問への返答Ⅱ

戒壇本尊については、教学試験の勉強で


『熱原の三烈士の殉教をみて、時を感じられた大聖人は弘安二年十月十二日、本門戒壇の大御本尊を建立されました』


と習いましたし、ずっとそれを信じていましたから後世の造立と聞いてとても複雑な気持ちになりましたが、鎌倉時代の遠い昔の出来事が、後世に誤って伝承されてしまうこともあるかもしれない、とも思いました。


御書についても、『「百六箇抄」「本因妙抄」は写本のみで原本が残っていないから偽書である』とか、いろんな説がネットでも飛び交っていますが、タイムスリップでもしない限り、その真偽は確かめようがないのかと。私個人は、相伝書と呼ばれる此の二つの書は偽書ではないと思っていますが、情報が氾濫している昨今、取捨選択が難しいところです。


戸田先生は、戒壇の大御本尊のことを「究極中の究極」と当時は信じていたと思いますよ。


ただ、堀日亨上人はこのこと(戒壇本尊の真実)を知っていたかもしれない以下の文献も残っています。


『然れば当時何事か宗祖の本懐満足と云ふ史実が有ったらうかと考えてみると、先師が曾て直ちに此の文(聖人御難事の「余は二十七年なり」の文)を以て戒壇本尊顕彰の依文を為れたやうだが、直接の文献は無いやうである』
                    
                     (堀日亨著「熱原法難史」より)