極悪と戦えば極善となる

 「破邪顕正」謗法呵責をメインに記事を綴っていきます。なお、コメント欄に初投稿する場合は、軽く自己紹介をするようにお願いします。管理人が非常識、悪質なコメントと判断した場合、削除させていただくこともありますのでご了承ください。

法論目的だったのか

あのー「この質問には学会員絶対に答えられないだろ?」って
法論が目的なら最初から「法論で正邪の決着をつけよう」てタイトルに
すれば良かったんじゃ?そういうところが「姑息だ」っていうんですよ。


「全然教学知らないんで」


教学全然知らない方が、何で三大秘法のことなど論じられるんでしょうね?
↑このコメントは嘘?それとも方便ですか?それとも忘れてた?(笑)


それとも「教学知らないフリしてフルボッコ作戦?」ですか。


そんなだから「やり方えげつない」と思われるんですよ。
信用をなくすんですよ。


あなた様がサイコパスかどうかなんてわかりませんよ。
でも最初の茶化したHNやタイトルや紹介文とは異なる創価を小馬鹿にした記事をみたら、誰だって「この人おかしい」って思いますよ。「胸襟を開いた対話」なんか「釣り文句」で嘘っぱちだなってね。


「場合によっては日顕宗をやめて創価学会に頭を下げて再入会します」


思ってもいないことを書くのはやめましょう。


今まで法華講員さんとのやり取りで誠実だと感じた方はたった一人いましたが、
その方は姑息さや茶化す態度は見られなかったので、こちらも真剣に相手にしましたが、あなた様の文章からは誠実さは微塵も感じられませんね。


ここ「創価学会」のカテゴリーなんですよ。
つまり「日蓮正宗」のあなた様の居場所じゃないんです。
管理人様にお願いして「日蓮正宗」のカテゴリーつくっていただらたらいかがですか。

ニセ本尊とは何ぞや

かつて日顕宗では学会のお守り御本尊にまでに難癖をつけ、『魔を肌身離さず持ち歩くことになり、事故や病気、不運に見舞われる確率は格段に高まります』(埼玉能安寺法華講支部HP 現在は閲覧不可)と脅していた。


『御法主上人の許可なく勝手に複製したものを、私たちは「ニセ本尊」と読んでいるのです』(大白法 H23・12・1)


では御法主上人猊下の「許可」さえあれば、複製された創価学会の日寛上人の御本尊もお守り御本尊もニセ本尊ではなくなるのだろうか。そんなふざけた話はない。



日顕宗YouTuberの「とよえもん」こと樋田昌志氏は創価学会の日寛上人の御本尊の画像に目玉や口を入れたチラシを作製した。さすがに法主の日如もこのチラシを配るのを禁止したにもかかららず、それを無視して配布を続けていた。同氏は「創価学会が殺し屋を雇ってある特定の企業の社長を射殺した」などとデマ動画をYouTubeに載せ、創価学会から訴えられ謝罪文を掲載している。



日顕宗の主張するような『法主の開眼あればオッケー』、そんなオカルトまがいの本尊論など、バカバカしすぎて話にならない。

良い人アピール作戦?

「大願を立てん日本国の位をゆづらむ、法華経をすてて観経等について後生をごせよ、父母の頸を刎ん念仏申さずば、なんどの種々の大難・出来すとも智者に我義やぶられずば用いじとなり」(御書全P232)


【日寛さんが、大聖人の開目抄を排して、あの有名な一節を読むと涙が出てきて仕方がないと。僕も昔御書を読んでいて涙が落ちることがありました。(中略)そんなふうに考える僕は異常人格者なんですかね?】



「昔御書を読んでいて涙が落ちることがあった」のは、創価時代か法華講時代かは不明ですが、創価ダメ出し系某ブロガーさんの↑の記事を読んで、この方の「良い人アピール」、さすがはですね、裏では姑息な手段で学会を切り、表では「良い人アピール」していた裏表の激しい二面性をもっていた日顕のお弟子さんとしかいいようがないなあと思いましたけれども。日顕に師弟不二すると日顕師匠にそっくりになるんですね。



【自分の純粋さを演出し不信感を払拭しようとする魔性の心理】



『私の顔が〇〇〇〇のようなことをした顔に見えますか?』 


 (見えないですと言ってほしくて周囲に同意を求める
             1992年7月夏季法華講登山会での日顕の発言 於大講堂)



『私はもう覚悟している。大聖人様のですね、こういうお言葉がありましたよね。「所詮日蓮一人にて、日本国を流浪すべき身にて候」私はもうこの御文を排した時には涙がですね・・・(嗚咽)・・・』


  (C作戦が暴露され動揺した時の日顕の発言・平成3年1月6日全国教師指導会 於大石寺)



ちなみに日寛上人が開目抄を排して流された涙と、C作戦暴露で動揺して日顕が流した涙は全く違うものなので、同一視されないよう、よろしくお願いします。