極悪と戦えば極善となる

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勤行唱題を怠っていた山崎正友

山崎は、最初から野心で動いていたわけではなく、
弁護士になりたてのころは真面目に働いていたようだ。


晴れて弁護士になったときは、



「民衆のために戦いぬく立派な法律家に成長し」


「ほんとうに困っている人、弱っている人の味方になって、""金がなければ弁護士をやとえない""という考え方を打破していきたいと思います」



と決意を語っている。



しかし、このころ既に彼の信心の姿勢に疑問を持つ人もいた。
以下、岡山時代に一緒に活動した人たちの証言。


「唱題を根本にコツコツやるタイプじゃなかったですね」


「勤行、唱題に励む様子は一切なかった」


「熱心に拝んどった姿がどうしても彷彿としてこないんです。見たことがねえ」



山崎は、勤行・唱題という基本を怠っていたために、悪縁に染まり、いとも簡単に第六天の魔王の生命に支配されてしまったのだろう。


弁護士として宗門に関わるようになり、そして宗門僧の無知さ、レベルの低さ、世間知らずさを目の当りにし、それまでの


""厳しい修行にたえて僧侶となった立派な人たち""


という概念はもろくも崩れ去り、その瞬間、彼にとって信仰というものは何の意味もなさないものとなった。そして次第に宗門僧を自分の欲望を果たすための道具とみなすようになったのだろう。


山崎は、岡山時代の男子部の後輩たった中川氏にこのように話している。



「坊主は悪い奴らだ。坊主の手をひねるのは赤子の手をひねるよりみやしい(カンタンだ)」



なぜ山崎は宗門を自由に操れたのか

何故、山崎正友は宗門中枢に上手く取り入り、意のままに操ることができたのか。
それは、彼が宗門僧の特性を熟知していたからだった。


山崎は、前記事で述べた「正本堂の土地をめぐる告発事件」で宗門の高僧たちや細井日達管長とも直接、話す機会があった。



「坊さんは、しょせん金よ。プライドとかなんとか言っているが、金を与えれば、どんないみじき方でも、すぐコロリだよ」


「坊さんは正本堂などという建物より現金がよかったんじゃないかな」


「日達上人は、創価学会だけが大きくなると困るんだよ。妙信講(顕正会)を創価学会のあて馬にしようというのが本音だよ。学会が予想外に大きくなったんで、恐くなったんだよ。二十年前は食い詰めていたのに感謝もせず、坊さんってのはそんなもんだよ」


等々、宗門僧について分析している。




山崎は、日達法主のまえでは平身低頭を装い、口先三寸、心にもないお世辞でたらしこんでいったが、陰では「上野村の和尚さん」といって蔑んでいた。



「馬子にも衣装というが、村の和尚さんじゃ着せるものがない」


「尊い人は、御簾の後ろに隠れていただいているのが一番だ。出てこられると信者が失望する」


などと当時の後輩である学会員に本音を吐露していた。



後年、山崎は阿部日顕と結託して学会攻撃に狂奔するが、わがままで短気、世間知らずな日顕を利用しただけで、""御法主上人""に対する尊崇の念など、これっぽっちも抱いていなかったのである。



弁護士も会計士もいなかった大石寺

S48年6月、宗教法人大石寺の代表役員であった細井日達管長と創価学会池田会長が刑事告発された。告発したのは富士宮市議・上杉三郎、同市議会議長・内藤浩、法華講員の渡辺春雄。正本堂が建っている土地には、もともと複数の道があり、大石寺はそれを勝手に不法占拠している、というもので罪状は道路交通法違反、不動産侵奪罪。



その当時、大石寺には弁護士がいなかったので、創価学会の弁護士複数で告発人の説得にあたる。学会側は、告発事件が取り下げになった後も、富士宮市で調査を進め、告発人の一人である上杉議員(当時)とも面談した。



上杉は以下のように発言している。


「前回の告発を取り下げたのは、市長を仲介にして学会が積極的に市政に協力してくれるようになったからだ」


「告発以後、それは目に見えてよくわかった。自由参詣もできるようになったし、案内もつく。地域協力は進んでするし、本当によくなったと思う。私は学会の功績は認めているし、宗教を愛する人間だ。非を認めてすぐ改めるという学会の態度には感心した」



世間のことに疎い大石寺側は、農地法を詳しく知らず、県の許可なしに農家の人の名義を借り、約300坪以下に細分化し、次々と農地転用の手続きをし、違法に土地を取得してしまっていた。


この事件に弁護士としてかかわった山崎正友は、周囲にこう言い放った。



「宗門は無知じゃ、なーんもわからん(わかっていない)」



「何百億もご供養した挙句、罪人にされたんじゃかなわねえ。あれだけの土地を処理したのが村の司法書士だとよ。弁護士もいないんだ。あんなもん(宗門)連れて世界広布なんて出来やしないよ。村なんだよ、村の寺なんだよ」



「かっこつけたってどうしようもねえ。いくら学会が頑張ったところで、山(宗門)がドジ踏んで、こっちが罪人とされるんだ。坊さんの意識が低すぎるんだよ」




弁護士として、「お山」のお世話をするのがバカバカしくなった山崎は、その「お山」を懸命に外護する創価学会に対しても、見下すようになっていく。



この事件を受け、細井日達管長は、出家が在家より世間のことには疎く、社会性に欠けていると自ら告白し、このように指南している。



「信者に対して驕慢であってはいけない。又、一介の住職であるといっても、寺のことや学問のことは、充前(ママ)にわきまえているけれども、社会の生活の面においては、まことに疎いのである。(略)お寺さんとしては、世間的生活指導は、むずかしいのであって、出来ることではない」


「(出家が在家を指導することは) 在家の生活の本当の苦しみを知らないからして、それは出来ないはずである。それを口先だけで指導しようとするのはやめてもらいたい」


「学会においては、御書は十分に、世間的にこれを咀しゃくし、解釈し、自由自在に解釈しております。まことにその点は立派だと思います」


「会長は身命をとして働いておる。たしかにそうである。まことに感謝しなければならない」
                    (大日蓮 S48年 10月号)


「今 我々が普通の普通の世間の僧侶からみると、十分衣食が足りております。
衣食が足りて驕慢になってしまったら大変なことである。(略) 信者を大事にし、学会の人たちも大変に身をすりへらして、そして宗門のために広宣流布のために働いておるんだから、どうか信者を大事にしていっていただきたいと思います」


                    (蓮華 S48年 9月号)