極悪と戦えば極善となる

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すべてを味方に変える

 広宣流布の苦労に、無駄はない。
全部、大福徳に変わります。全部、生かされていく。


 御本尊中心の活動であれば、矛盾や行き詰まりがあるわけがない。
御本尊は「事の一念三千」の御当体です。十界の衆生が、すべて妙法に照らされて、
仏の働きをするのが、御本尊中心の世界です。


 私は、ある時は「地獄界の衆生も、餓鬼界の衆生も、畜生界の衆生も、全部、広布の法戦に参加させたまえ!全部、味方とさせたまえ!」と祈って、戦った。


 十界の衆生が、「普く(あまねく)すべて」、「賢き」価値創造者となるのが「普賢」です。また、いつだって魔軍を叱りとばしながらの闘争だった。「大切な、清浄な学会に、指一本、触れさせてたまるか」という決心できた。


 皆も、そうあってもらいたい。これが普賢菩薩の精神のはずです。


             ー法華経の智慧 第六巻 広布の同志を仏の如く敬え より

信心がある人には魔が競う

 経文に照らして、御書に照らして、魔も難も起こらない正法なんてありません。
難を避けるうまい方法はないかなどと考えてはだめです。覚悟を決めることですよ。


 実は、魔にも難にも大きな意味があるんです。
大聖人が『魔競はずは正法と知るべからず』といわれているように、魔が競い起こるか否かによって、その教えが正しいかどうか、自分の信心が本物かどうかを、見極めることができるんです。


 また、正法を流布して法難に遭うことによって、過去世からの悪業を今世で消して、一生成仏することができる。だから、難を呼び起こしていく信心が大事なんです。


 もちろん、非常識な言動で、無用な摩擦を生むようなことは、厳に慎まなければなりません。しかし、どんなに慎重に、誠心誠意、対応しても、正法を弘めるならば、必ず難は起こります。その理由は、この世界は第六天の魔王の所領であり、そこに妙法受持の人が現れ、浄土に変えようというのだから、難が競い起こるのは当然なんです。


                        新人間革命 第27巻 正義より