極悪と戦えば極善となる

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慈悲魔 誤れる仏ごころ

慈悲魔(じひま)とは、人間の慈悲心、人情につけいる『魔』。
慈悲魔にたぼらかされると、『かわいそう』という心が邪魔をして相手のためにも自分のためにもならないことをしてしまい、悪を放置させてしまう。人がいい学会員さんは""要注意""の魔だ。


首楞厳経(しゅりょうごんきょう)に説かれるこの魔、『衆生の心に一分の慈悲心』があるのに乗じて、その心に取り入る。あわれみの情をいたずらに募らせ、是非善悪の判断を狂わせる。


お人よしだった私は、過去に何度もこの魔にたぼらかされ、""あわれみの情をいたずらに募らせ、是非善悪の判断""を狂わせてきた。慈悲魔というのは仏教用語であるが、広く世間一般にも通じる。


その一例 ・子供に泣かれてついついお菓子ばかり変え与えてしまう
     ・友達が悪いことをしていても注意しない
     ・彼氏にお金をせがまれ貢いでしまい、甘やかして相手に働く意欲をなくさせ
      てしまう
     ・自分が詐欺の被害にあっているのに、詐欺師に惚れ込み「責めるのはかわい      そうだから」とその罪を放置しておく


まさに、『自分のためにも相手のためにもならない』慈悲、人情。


『創価学会は、もともと日蓮正宗で教学を教えてもらったのに、その恩を忘れている』
との宗門側の意見があるが、「恩があるからこそ」、正法破壊の大謗法を戒めていったのである。


悪いことは、悪い!と言い切っていくことが本当の慈悲である。
以下、新人間革命第3巻 「月氏」の章より引用、抜粋。


『寛容というのは、誤った教えや悪を放置することではない。万人を幸福にしようとする慈愛の広さ、深さを意味する。それゆえに、人ひとを不幸にする悪に対しては、敢然と戦うんです。ましてや、大善を破壊する大悪、つまり「悪鬼入其身(あっきにゅうごしん)」の魔の働きをするものとは、徹底して戦わなくてはならない。それをしないのは、寛容などではなく、宗教者の仮面を被った、保身と妥協の偽善者にすぎない。』(p136)


『戸田先生も、悪に対しては厳格であり、徹底して戦われたが、人間的には本当に寛容でした。私は、戸田先生が笠原慈行(かさはらじこう)を助けられた時に、その広大な慈悲に驚いたものです。』(p140)


笠原慈行(小笠原慈聞)とは、戦時中、「神本仏迹論(しんぼんぶっしゃくろん)」という邪義を唱え戦時中、天照大神こそ本地で、釈迦如来は垂迹であるとし、天照大神は南無妙法蓮華経を世法的に日本に具現した至尊であるとし、そのことを哲学的に説いた仏が大聖人とする邪義を唱え、当時の神国思想に便乗し軍部政府に迎合していった日蓮正宗の悪僧である。


この笠原慈行こと小笠原慈聞(おがさわらじもん)は、大石寺を不敬罪で告訴するなど宗内をかく乱し、暗躍を重ね、これによって牧口会長、戸田理事長(当時)など学会の幹部が一斉検挙されることになる。戦後、僧籍をはく奪されたはずの小笠原慈聞が総本山にいることを知った学会の青年部は、「神本仏迹論」が邪義であることを認め、牧口会長の墓前で謝罪するように迫った。(狸祭り事件)彼は、ひとたび罪を認め、謝罪状を書いたが、すぐにそれを翻し、謝罪は暴行、脅迫によるものであると事実を歪曲、戸田会長を告訴し、それによって戸田会長は静岡の吉原署に留置される。


『戦後になって、再び笠原によって宗門が攪乱されたのは、もともと宗門のあいまいな対応のためである。悪の根を断とうとせず、中途半端に容認してきたところに、その要因があった。徹底した戦いなくては、邪悪を粉砕することはできない。戸田城聖は、決して笠原の邪義を許さなかった。それをあいまいにしておけば、永遠に禍根を残すことになると判断したからである。』(p142)


徹底的な追及にあい、小笠原はその後、心から自分の非を認め、詫びた。そして、
""自らの誤った生き方を目覚めさせてくれたのは学会であり、あの果敢な弘教がなければ宗門は衰微してしまっていただろう""と戸田会長を称えた。後に小笠原が離職金融詐欺にあい、生活も窮地に陥ったとき、戸田会長は彼に見舞金をおくり、男子部の有志が金を出し合って彼に支援金を届けた。


『慈悲を口にすることは容易てある。しかし、憎んでも憎み足りない相手に、慈悲を施すことは至難であろう。だが、戸田は、仏法の大慈大悲をもって、笠原をも寛容の腕で温かく包んだのである。』(p143)


日顕宗を倒す祈りの功徳

以下、青年僧侶革命同盟 成田雄伴氏の投稿によるもの。(日顕御用達・大石寺の正統性を証明する掲示板)


日顕宗を倒す祈りの功徳について 青年僧侶革命同盟 成田雄伴 投稿日2011年2月22日


・・・中略 『極悪と戦えば、極善となる』と。何より魂が強くなります。限りなく魂が強くなります。これは保証つきですね。「魂が強くなる。」私は、これほどの功徳はないのではないかと思います。また、物理的な功徳よりも魂の強さほどの功徳はないのではないかと思います。


それから""破門以前""と""破門後""で地球の波動が変わったことに我々は気がつかなくてはいけないと思います。破門以前、破門以後で変わりました。破門という大謗法を犯す以前は、「幸せにしてください」これでよかった。破門以後は「悪を許さない!」というこの祈りと行動がやはり大事になってきますね。


破門以前、破門以後で変わります。これを名づけて""破前破後""と言っていますが(爆笑)
とにかく こういう大功徳の体験というのは、学会の草創期にはいっぱいあったんですね。昭和35年5月3日、池田先生が会長に就任された時にこういうふうに言われました。


「創価学会は、全民衆の最大の味方であります。敵は邪宗教にあり、邪宗教は人々を地獄におとす。正法は人々を仏にする。そのあらゆる一切の不幸の根源は、邪宗邪義にありという大聖人のご金言がございます。このご金言どおりに獅子吼をなされたのが恩師・戸田先生であります。その恩師・戸田先生の邪宗邪義撲滅の大精神を精神として今ふたたび門下一同は邪宗撲滅に猛然と襲いかかっていきたいと思うところであります」


こういうふうに池田先生は大獅子吼をされて、「西の天理教、東の立正佼成会を撃て」というふうに言われて徹底的に戦ってきたゆえに、みんな大功徳を受けて、学会員が元気になった、故に日本の高度経済成長があったというひとつの大きな、大きな原理があるわけです。邪宗教と戦った故に、大きな功徳がでた。


今、邪宗のことは邪宗と言わずに""他宗""と呼んでいます。顕謗法抄には「正法を人に捨てさせるがホウボウであるなり」と。謗法の定義、邪宗の定義。それは、その人から正法を捨てさせる通力のある人間や団体が謗法なんですね。天理教や立正佼成会、昔はそういう通力があった。昔の邪宗にはあったんです。


ですから神社・仏閣は、昔ですね、鳥居をくぐっただけで頭がいたくなった人もいたんですよ、ほんとに。ちょっと神社に行ってきただけでクラクラしてきたとか、今は、あんまりそういうことは聞かないですね。神社・仏閣を30件くらいハシゴしてもピンピンしていますよね(大爆笑)もう邪宗には、通力がないんです。だから他宗なんです。


じゃあ、今、学会員を退転させる通力のある団体はどこかというと日顕宗と顕正会なんですね。日顕宗は、最大の邪宗なんですよ。中略・・・・大御本尊をニセ物発言をした日顕と戦うと、ものすごい功徳がでる。幸福になることは間違いないと言うことを、私はすべての人に実感として体験をつかんでもらいたい、そういう思いなんです。


戒壇の大御本尊を偽物だと言った前日顕法主




日顕が大御本尊をニセモノと発言!


何やら日蓮正宗の連中が、会則の教義事項改正にイチャモンをつけ「戒壇の大御本尊を受持の対象から外した」と騒いでいるが、前法主である日顕が「戒壇の大御本尊は偽物だ」と言っていたことを知っているのだろうか。今まで本門戒壇の大御本尊と喧伝していた板曼荼羅を阿部日顕は鑑定にかけ「弘安三年 日禅に授与された一機一縁の本尊」と判定していた。


そもそも大聖人が民衆のために御図顕された大御本尊をタテに取り、私物化し、『創価学会を切り崩す道具』にしたのは、日蓮正宗。仏法破壊の輩が集うところなど、いかに大御本尊がご安置されていようが、魔の巣窟にすぎない。


不惜身命の実践もなく、難も受けず、遊戯雑談にふける輩が、どうして大聖人や日興上人のような「聖僧」であると言えるのか。