極悪と戦えば極善となる

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教学部長時代から折伏を行じようとしなかった日顕Ⅲ

京都では、腐敗、堕落した日本の仏教界を象徴するかのように、他宗派の住職らが、そうした遊びをすることは珍しくなかった。しかし、学会員は日蓮正宗の僧侶に限って、そんなことは絶対にないと確信し、周囲の人びとにも、そう断言してきた。日興上人の門流として、小欲知足の伝統を守り抜いていると、固く信じていたからである。


学会員のなかには、料亭の従業員もいたし、さまざまな職業の人がいた。その人たちが、阿部の放蕩の現場に出くわすことになるのである。皆の衝撃は大きかった。


‘’私たち学会員が、生活を切り詰めに切り詰めて、供養した浄財を、こうしたことに湯水のごとく使う・・・・。まさに『法師の皮を著たる畜生』(全P1386)ではないか!‘’


失望のあまり、茫然と立ちすくむ人もいれば、悔し涙を必死にこらえる人もいた。
しかし、会員たちは、それを自分の心に秘め続けてきた。


‘’僧俗和合して広宣流布に進もうとしているのだから、事を荒立ててはいけない。自分が目をつぶっていればよいのだ‘’


と考えてきたのである。


ところが、その後、阿部がしてきたことを思えば、彼は、法師の皮を著た「畜生」どころではなかった。後年、法主の座についた彼は、仏子の団体である創価学会を壊滅させ、宗門が直接、学会員を操り、支配しようと、学会を日蓮正宗から破門し、さらに宗門興隆の最大の功労者である山本伸一を信徒除名処分にするのである。まさに、広宣流布の破壊であり、「第六天の魔王」の姿を露呈していくことになるのである。
                  (新・人間革命7巻P377~操舵の章より)

教学部長時代から折伏を行じようとしなかった日顕Ⅱ

(平安寺の)落慶入仏式の席上、日達法主は「慶讃文」のなかで次のように述べている。


「当地には数多の寺院甍を並べ軒を連ぬと雖も権迹浅近の諸宗にして我が邦第一の魔境とも謂う可き所なればかかる地に於て将来の竜象をして邪魔を破し研磨し鍛えせしめんが為なり」


誤った教えの宗派の寺院が連なる「魔境」ともいうべき京都で、将来の宗門の大人材に、破邪顕正の戦いを起こさせ、磨き上げていくために、この寺を建立したというのである。
この日、伸一は、あいさつのなかで、仏法者としての在り方に言及し、次のように結論した。


「仏法を持った私どもは、周囲の人から『なるほど立派な人である。これほどの人が信心しているならば、私も信心しよう』と言われるような姿でなければならないと思うのであります」


御書に「教主釈尊の本懐は人の振舞にて候けるぞ」(全・P1174)と仰せのように、仏法とは、人間の生き方の究極を説いたものである。したがって、人として、いかなる行為、振る舞いをなすかが、仏法者として最も大切な問題となる。


平安寺の阿部信雄によって、京都の広宣流布は進むと信じて、会員たちは苦しい生活のなかでも、寺への供養を続けた。だが、何年たっても、日蓮正宗に改宗する寺など、ただの一ヵ寺もなかった。そもそも阿部は、折伏を行じようとさえしなかったのであろう。
では、彼がしたことは、なんであったか。


ーやがて、高級料亭に出入りし、時には芸妓を呼んで宴席をもつ阿部の姿が、目撃されたのである。
                (新・人間革命7巻P375~操舵の章より一部抜粋)

団結ー会長を中心に皆が呼吸をあわせていく

「広宣流布を進めていくうえで最優先すべきは、皆が呼吸を合わせていくことであるといっても過言ではない。学会が未曽有の大発展を遂げたのも、御本尊の仏力、法力によるのは当然として、皆が信心を根本に呼吸を合わせ、それぞれの地域の広宣流布に邁進してくださったからにほかなりません」


「活動を推進していくうえでは、協議が大事です。ところが、いろいろな考え方があり、なかなか意見がまとまらないこともあるかもしれない。そうした時には、常に‘’なんのためであるか‘’に立ち返ることです」


「よく戸田先生は、言っておられた。
『信心のうえで呼吸が合わない人は、必ず落後していく』と。心すべき御指導です」


「これまで、私の側近であるとか、特別な弟子であるなどと吹聴し、皆に迷惑をかけてきた幹部が一部におりました。結局、私を利用して自分の虚像をつくり、同志を騙す手段にしてきたんです。私は、日々、さまざまな会員の方々と接しておりますが、皆、平等に、指導、激励にあたってきたつもりです。信心のうえで特別なつながりなどというものはありません」


「強いていえば、私の身近にいて、すべてを託してきたのは、十条前会長であり、秋月現会長です。したがって、‘’自分は側近である。特別な関係にある‘’ーなどという言葉に騙されないでいただきたい。そんな発言をすること自体、おかしな魂胆であると見破っていただきたい。どこまでも、会長を中心に力を合わせていくことが、広宣流布を推進していくうえでの団結の基本です。未来のためにも、あえて申し上げます」
               (新・人間革命30巻下P142~勝ち鬨の章より一部抜粋)