2018年6月のブログ記事
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三位房日行は、比叡山に留学し、秀才だったようで大聖人門下にあっては指導する立場にあり、今の学会でいえば大幹部にあたる。 日興上人の富士方面の弘教の補助にあたり、諸宗問答の主任を任されていたのだから、 師匠である大聖人からも、かなり期待されていた人物のように思う。 しかし、三位房は京の軟風におかされ... 続きをみる
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「最上第一の相伝あり、釈尊八箇年の法華経を八字に留めて末代の衆生に譲り給うなり、 八字とは当起遠迎当如敬仏の文なり、此の文までにて経は終るなり当の字は未来なり、 当起遠迎とは必ず仏の如くに法華経の行者を敬う可しと云う経文なり」 (御義口伝 下 普賢品六箇の大事 第六此人不久当詣道場... 続きをみる
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蒙古襲来の危機が迫る中、大聖人は極楽寺良観に今までの謗法を反省し、自分に帰依するように書状を出されている。 「長老忍性速やかに嘲哢の心を翻し早く日蓮房に帰せしめ給え、若し然らずんば人間を軽賤する者・白衣の与に法を説くの失脱れ難きか、依法不依人とは如来の金言なり」 「良観聖人の住処を法華経に説いて云... 続きをみる
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