極悪と戦えば極善となる

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万祈を修せんよりは 此の一凶を禁ぜんには


グルーブ学習会において「立正安国論」を4回にわたって講義させていただいた。
題目をあげ、御書にふれていく中で、日蓮仏法の究極中の究極の修行は「謗法呵責」であることを学んだ。


私は、もともと事なかれ主義で議論をすることはあまり得意ではない。
しかし、立正安国論を学ぶうち、有名な以下の一節がずっと私の脳裏から離れなかった。


「若し善比丘あつて法を壊ぶる者を見て置いて呵責し駆遣し挙処せずんば当に知るべし是の人は仏法の中の怨なり、若し能く駆遣し呵責し挙処せば是れ我が弟子・真の声聞なり」(御書P26)


大聖人は他の御書でも、何度もこの涅槃経の文をひいて、いくら信心をしていても謗法を責めていかなければ成仏できず、「仏法中怨」、自身が仏法の中の怨(あだ)となってしまう、と厳しく仰せられている。


大聖人は当時大流行していた念仏を「此の一凶」と断じられ、邪義を説いて人々を惑わしている悪僧を徹底的に破折していかれた。真っ先に念仏を破折された背景は多々考えられるが、ひとつには民衆の間にはびこっていた厭世思想により、自殺者が多発していたことによると思われる。


念仏を唱えると死んでから阿弥陀仏に救ってもらえるというこの教えは、人々を嫌なこと
から現実逃避させ、生命力を奪っていった。


私は、何年もこの念仏の害毒に苦しんだ。
憎んでも憎み足りないくらい・・・
邪な宗教は、人間の心身を蝕んでいく。
大聖人が責めていかれたのは当然のことである。


現代における一凶は、日顕とその一派、日蓮正宗宗門である。
外護の赤誠をつくしてきた池田先生を日顕が破門する、という大謗法を犯してから阪神大震災からはじまり、数々の三災七難が相次いでおこっている。


今のご時世、「万祈」ではなく、「一凶」を禁ずる祈り。
極悪を絶対に許さない!という強き祈りが大事になってくる。


宗門とは今後も徹底抗戦していく。
池田先生と純粋な学会員から供養をとれるだけとって利用し、
金がたまったら切り捨てた日顕とその一派を絶対に許さない。