極悪と戦えば極善となる

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御書にみる大聖人の優しさ 温かさ

 大聖人は末法の始めという時に則って、第一義悉檀(真実を言い切る)、対治悉檀(悪を止める)を表にして法を弘められ、折伏(破折・屈伏)を行って為政者を強く諫めたことで、世間一般に日蓮ときくと「厳しく、強烈な人」というイメージがあるが、御書を拝していくと、人間的にとても優しく温かい方であったことが伝わってくる。


<夫を亡くした妙一尼に対して> 御書P1254


 をさなき公達等をばかへり見たてたてまつるべし


 (幼い子供たちの世話は私がしましょう)



<子供がいない門下に対して> 御書P1323


 子息なき人なれば御としのすへには・これへと・おぼしめすべし


 (お子さんもおられない方ですから、お年をめされたら、こちらに移ってくるのをお考 えになられたらよろしい)



<夫に先立たれた夫人に対しての和歌> 御書P1482
 
 ちりしはな・をちしこのみも・さきむすぶ・いかにこの人・返らざるらむ 


 (散った花や木の実は、再び花を咲かせたり実をならせるのに、なぜこの人はかえって こないのだろう)


 こぞもうく・ことしもつらき・月日かな・おもひはいつも・はれぬものゆへ


 (去年も憂うつで、今年もつらい日々です。思いはいつも晴れないものですから)




<親を亡くした南条時光に対して> 御書P1509


 我が若き身に親にはやくをくれて教訓をもうけ給はざらんと・御心のうちをしはかるこそなみだもとまり候はね


("私は若いのに親に早く死なれて、いろいろと教えてもらうことができなかった"、と思っているあなたの御心を推し量ると、涙を抑えることができません)