極悪と戦えば極善となる

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日蓮仏法はおすがり信仰ではない

観心本尊抄で、
『問うて曰く十界互具の仏語分明なり然りと雖も我等が劣心に仏法界具すること信を取り難き者なり』御書P241


(問うていう、十界互具については仏が説かれた経文は明らかになったが、われわれ凡夫の劣った心に仏界を具しているとは、とうてい信じられない)


 質問者は、「われわれのような劣った者に仏界が具わっていることが信じられない」と言っている。


 これは、当時の日本人の一般的な考え方だったと思われる。
当時大流行していた念仏宗は、本尊を己心の外にみて、阿弥陀如来に救ってもらうと説く。



 我々創価学会員も、「御本尊へのおすがり信仰」、祈りが念仏風にならないように気をつけなければならない。


 凡夫は、大聖人のような偉大な仏様にはとうていなれないから、
「御本尊に、仏さまに救ってもらいましょう」


 池田先生のように偉大にはなれないから、
「池田先生に、助けてもらいましょう」
 と考えるのは、


 「阿弥陀さまに救ってもらいましょう」


という他力本願の念仏信仰と完全に同じになってしまうからである。


 自分にも大聖人と同じ仏界があるんだから、必ず開けるんだ、開けないわけがないと強く信じて祈ることが大切になる。


 「日蓮正宗念仏風」の記事でもとりあげたが、大聖人が『観心本尊抄』で繰り返し述べられている十界互具・一念三千を否定するような発言をしているのが阿部日顕である。


『大聖人と同じになるなどというのは大謗法』
『大聖人直結などとは全くのたわごと』
『凡夫即極又久遠元初自受用身のことであり、一般の凡夫のことではありません』
(H9 10・15 発行 創価学会偽本尊義を破す 日蓮正宗宗務院)


 大御本尊を『己心の外』におき、念仏まがいに大聖人や大御本尊を神格化している現在の宗門には、大聖人や日興上人の血脈は流れていないと断言する。