自己肯定感を高める方法
4月21日付の聖教に目を通すと「日本の高校生の自己肯定感が、他の国と比べて著しく低い」とあった。(グローバルウォッチ 共生の未来へ)
自己肯定感が低くなる要因は、生まれ育った環境、宿命的なもの、様々あるだろう。
大変な病気や宿命にさらされ、落ち込んでいるとき、それでも「自分自身を信じぬいていく」のはとても難しい。「逆境のときでも自己を肯定することができた」それが日蓮大聖人だと私は思う。
貧乏で身分も低くて、しかも罪人。
弟子はたくさん殺され、自分もいつ殺されてもおかしくない状況。
普通は、卑屈になるし、運命を呪ったりするだろう。
しかし御書には「うれしいかな」「たのもしいかな」「歓喜の感涙」といった言葉がたくさん散りばめられている。竜の口の首の座にあっても泣く四条金吾に対して、
「これほどの悦びをば・わらへかし」と。
いったい、どうしたらこんな大境涯になれるのか。
私なりに思索した結果、シンプルな答えがでた。
「勇気をだして、日本中の謗法を破折していった」
からだと私は思う。
開目抄には、「言えば(破折すれば)大難、言わなければ(破折しなければ)無間地獄」と。
「二辺の中には・いうべし」
大聖人は「言う」ことを選ばれた。
そして大難に耐え、折伏戦を展開されるなかで「はがねのような精神力」が培われ、生命が鍛えられ、一見、地獄のような境遇にあっていても、心は澄み渡り、自身の成仏を絶対的に確信し、根底から安心しきっていた。
人生は、選択していくことの連続だ。
一つは、平坦で楽な道。
この道を選べば、傷つくこともないし、転ぶこともない。
しかし、どこにも行きつくことはできない。
それは絶望に等しい。
もう一つは、険しい道。
この道を選ぶと、何度も転び、傷だらけになる。
しかし、登り切って頂上からみる景色は素晴らしい。
""この道を選んでよかった""と心から思える。
大聖人の話とは次元は違うが、小泉純一郎元総理は、息子の進次郎氏に
「階段とエスカレーターがあったら、階段の方であがりなさい。人生も、楽なほうと苦しいほうの選択をするときは、必ず辛い方を選びなさい」
と語ったという。
困難に挑むことが、人間の心を鍛え、成長させる。
それが自己肯定感を高めることにつながるのではないだろうか。
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