極悪と戦えば極善となる

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猫さんへ④

学会は、初代会長牧口先生を折伏してくれた三谷素啓氏、
宗門の碩学といわれ、ご高齢の身で御書全集の編纂にたずさわってくださった堀日亨上人、折伏弘教に邁進する学会を深く理解し、称賛された日昇上人、日淳上人、日達上人への御恩を忘れてはいません。


現在、信濃町の大誓堂にご安置されてある「大法弘通慈折広宣流布大願成就」としたためられた御本尊は、戸田先生が水谷日昇上人に請願されたものです。


紆余曲折ありましたが、学会と宗門は僧俗和合にむけて努力し、何か問題があれば話し合いで解決してきました。


1976年ごろ、日達上人につながる人脈をもつ若手の僧侶らに、創価学会の顧問弁護士であった山崎正友がデマを流し、かく乱されましたが1977年、日達上人と池田先生はお互いに腹を割って徹底的に話し合いを重ね、その後、日達上人から池田先生にこのような和歌がおくられています。


「我が宿の 松原越の 日向灘 波静にと 祈りつ 眺む」


しかし67世日顕の代になった後年、問題を話し合いで解決しようと学会首脳が登山したおり「目通りかなわぬ身」と宗門側は対話を拒否。もともと学会を切るつもりでいた日顕と宗門中枢は僧俗和合して進む気などさらさらなかった。


大客殿や本門の戒壇の正本堂を破壊するなど、先師の偉業にことこどく泥をぬった日顕。


「慈無くして詐り親しむは即ち是れ彼が仇なり、彼が為に悪を除くは即ち是れ彼が親」


67世日顕、現法主日如以下、腐敗堕落した坊主らと戦うことは、学会の日蓮正宗に対する最大の恩返しです。