大聖人から極楽寺良観への手紙
蒙古襲来の危機が迫る中、大聖人は極楽寺良観に今までの謗法を反省し、自分に帰依するように書状を出されている。
「長老忍性速やかに嘲哢の心を翻し早く日蓮房に帰せしめ給え、若し然らずんば人間を軽賤する者・白衣の与に法を説くの失脱れ難きか、依法不依人とは如来の金言なり」
「良観聖人の住処を法華経に説いて云く「或は阿練若に有り納衣にして空閑に在り」と、
阿練若は無事と翻ず争か日蓮を讒奏するの条住処と相違せり」
「僭聖増上慢にして今生は国賊・来世は那楽に堕在せんこと必定なり、聊かも先非を悔いなば日蓮に帰す可し」
(極楽寺良観への御状 御書P174)
極楽寺良観は、外面はいかにも聖者のように装い、内には「貪嫉」をいだき、「人間を軽賤」し、大聖人を陥れるために権力者に讒言していた。
安全な人里離れた閑静な地で、自分自身は折伏もせず、難も受けず、法華経を一文一句身で読んだこともない、表面は学会の理解者を装いながら、裏でいろいろと画策して宗門発展の大功労者である池田先生や折伏にまい進する学会員を陥れようとするなど阿部日顕の所業は現在の僭聖増上慢そのもの。
戦前、神本仏迹論の邪義を唱え、牧口初代会長や戸田会長の投獄の元凶となった小笠原慈聞は、後年反省し、
「自らの誤った生き方を正してくれたのは学会であり、あの果敢な弘教がなければ宗門は衰微してしまっていたであろう」
と述懐している。
その小笠原を何倍も上回る大悪僧となった阿部日顕は、今世での数々の悪行、仏法破壊行為を心から反省し改めなければ、御聖訓にてらし、
「今生は国賊・来世は那落に堕在せん」ことは必定なのである。
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