極悪と戦えば極善となる

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猫さんへ⑥

戸田先生の「御法主上人は、六十四代の間を、私どもに、もったいなくも師匠として
大聖人そのままの御内証を伝えておられるのです」との御指導について


「別体三宝」と「住持三宝」という表現は、いつの時代から正宗でされていたのか私には
わかりません。戸田先生が当時↑のような御指導をされたのは、その「住持三宝」という正宗の教義に則ってされたものと思われますが、


もともとの三宝の意味は、仏法者が敬うべき三つの宝のことで、汚れなく、威徳があり、衆生を救済する宝のこと。


時の法主が、「汚れなく、威徳があり、衆生を救済していけるような徳のある人物」であるならば、間違いなく僧宝にあたるのでしょう。


しかし、遊興にふけようが、所化に暴力をふるおうが、「カマシ」を入れようが、相承を受ければ、どんな人物でも直ちに「大聖人の法魂が宿る」などと、やみくもに尊ぶのは間違いです。


戸田先生は、「御僧侶」は尊ばれましたが、堕落した「悪坊主」には、烈火のごとく叱責されました。戸田先生が登山されると、やましさのある坊さん連中は、怖くて逃げまわっていたそうです。


戦時中、神本仏迹論の邪義を唱えた宗門の悪僧、小笠原慈聞をそのまま放置せず、
牧口先生の墓前で謝罪させた話は、元・学会員の猫さんならご存じでしょう。


もし、戸田先生のご存命中に、日顕のような人物が法主だったら、容赦なく弾劾されていたと思いますよ。「宗門に巣くう邪悪とは、断固、戦え・・!」「追撃の手を緩めるな」というのが戸田先生のご遺訓ですから。