極悪と戦えば極善となる

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第六十二世 鈴木日恭の最後

S18年6月、創価教育学会 牧口会長、
戸田理事長以下幹部数名が日蓮正宗宗門から登山を命じられた。


鈴木日恭らが立ちあいのもと、庶務部長であった渡辺慈海より


「神札を一応受けるように会員に命じてはどうか」


と言われるが牧口会長は、


「承服いたしかねます、神札は絶対に受けません」


とこれを拒否。本山を後にした牧口会長は帰り道で戸田理事長に熱く語った。


「いまこそ国家諌暁のときではないか、何を恐れているのか知らん」



牧口会長は、【時の貫首為りと雖も仏法に相違して己義を構えば之を用う可からざる事】との日興上人のご遺誡を厳格に守った。


牧口会長は、改めて登山し「神札甘受は過ちである」と鈴木日恭に諫言した。
それに対して日恭は「登山停止」の処分で答えた。


7月6日に牧口会長、戸田理事長らが逮捕されると「信徒除名処分」にして保身を図る。



その2年後のS20年6月17日、大石寺大奥対面所北側の廊下を隔てた部屋より出火、その火は管長室に燃え移った。


故・河辺慈篤と面識があったジャーナリストの北林芳典氏は、当時所化として現場にいた河辺に鈴木日恭の死の真相を聞き出している。


「日恭上人が亡くなられた時は、どんな様子だったんですか?」


「ありゃー、二回焼いたんじゃ」


以下、同氏著「暁闇」より一部抜粋


「河辺は、火災がおさまった後、鈴木日恭の姿が見当たらないので、必死になって探し、灰燼の中から発見したと話した。河辺によれば、発見した鈴木日恭の遺体は凄惨を極めており、大奥の大釜の中に太った身体がずっぽりとはまり、はらわたが生焼けとなり、上半身黒焦げだったという。ともにいた所化の増田壌允が自分のところに来て、「今、押し入れの中で煙草を吸ってて、ボヤを出しそうになった」と言ったので「ちゃんと始末したか」と聞いたら「小便かけて火は消した」と答えたので、安心して寝たところ一時間くらいして火事になった、と述べた。河辺の分析では、布団の綿についた火は消えにくいので、小便くらいでは消えなかったのだろう、ということだった」