極悪と戦えば極善となる

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真の先祖供養とは

お盆の由来は、釈迦の十大弟子のひとりで神通第一といわれた目連が、
自分の母親が「慳貪の科」によって、死後、餓鬼道に堕ちているのを見て、神通力で救おうとするのだが上手くいかず、釈尊に救いを求めたところ「あなたの母は罪が深く、あなた一人の力では救っていけない。十方の聖僧に供養せよ」と言われ、その通りにして母親を救っていったとの「盂蘭盆経」の逸話からきている。


しかしこの盂蘭盆経の逸話を利用し、
信者の供養を貪っていた堕落した既成仏教の僧らに対して大聖人は、



「いまの僧等の二百五十界は名計りにて事をかい(戒)によせて人をたぼらかし一分の神通もなし、大石の天にのぼらんと・せんがごとし、智慧は牛にるいし羊にことならず、たとい千万人を・あつめたりとも父母の一苦すくうべしや」
                         盂蘭盆御書 P1429


四条金吾御書においては「食法がき」「狗犬の僧」「未来には牛頭 馬頭」等々、
手厳しい破折をくわえている。


「まことの心なれども供養せらるる人だにも・あしければ功徳とならず、かへりて悪道におつる」P1486


どんなに真心こめて供養しても、供養した相手が悪ければ悪道におちる、と。



大聖人は「自身仏にならずしては父母だにも救いがたし・いわうや他人をや」、
父母を救っていくには、まず自分が仏になることが大切であると断言されている。



自分自身が仏道修行に励み、成仏することがそのまま父母や先祖のへの供養となる。



「悪の中の大悪は我が身に其の苦をうくるのみならず子と孫と末へ末代までもかかり候なりけり、善の中の大善も又かくのごとし、目連尊者が法華経を信じまいらせし大善は我が身仏になるのみならず父母仏になり給う、上七代・下七代・上無量生下無量生の父母等存外に仏となり給う」
                          盂蘭盆御書 P1430