極悪と戦えば極善となる

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化法について(梵我一如さんのご質問に対しての考察)

まず①のご質問に対する考察です。


「本尊義」を根本とする正宗の教学とは違うと思いますが、
学会で習ったことをもとにして自分なりに考察していきます。


正宗と今の学会の化法の捉え方の違い


正宗=戒壇の大御本尊
学会=法華経の題目(南無妙法蓮華経)


化法とは、生命の実相を示した真理のことで、大聖人は、生命の実相を示した真理を
『法華経の一念三千』に見いだされ、この『一念三千』を広宣流布すると仰せられています。


【問う一念三千の正しき証文如何、答う次に出し申すべし此れに於て二種有り、方便品に云く「諸法実相・所謂諸法・如是相・乃至欲令衆生開仏知見」等云云、庭下の凡夫・理性
所具の一念三千か、寿量品に云く「然我実成仏已来・無量無辺」等云云、大覚世尊・久遠実成の当初証得の一念三千なり、今日蓮が時に感じて此の法門広宣流布するなり】
                        (三大秘法稟承事 P1023)



一念三千とは、私たち衆生の「一念」(瞬間瞬間に働く心)に、三千の諸法(森羅万象)が具わっていることで御書の「観心本尊抄」の前半部分でも登場しますが、
タイトルは「観心本尊抄(正式には如来滅後五五百歳始観心本尊抄」なのに、前半は本尊の話をせず(本門の本尊を明かすのは、P247から) まず私たち衆生の‘’心の中の話‘’から始められていること(一念三千の典拠を示して観心を明かす)に深い意義があると思います。


摩訶止観第五巻に云く


【夫れ一心に十法界を具す一法界に又十法界を具すれば百法界なり一界に三十種の世間を具すれば百法界に即三千種の世間を具す,此の三千・一念の心に在り若し心無くんば而巳介爾も心有れば即ち三千を具す乃至所以に称して不可思議境と為す意(こころ)此に在り】
                          (観心本尊抄 P238)



天台の摩訶止観は、凡夫が止観(自分の心を見る)を実践するに至って、己心(自分の心)を対象とすべきであることを示し、己心を観ずる「観心」修行を明かしたもので、法華経の法理に基づき、一念三千の法理を整備し、一切衆生の成仏の道を明らかにしたもの。


一念三千は「終窮究竟(しゅうぐうくきょう)」の極説(P239)であり、故に止観の序の中に「説己心中所行法門」(自身の心の中で行じている法門を説く)との言葉は、実に理由のある言葉で、「止観」を尋ね読む者に求めたいことは、一念三千以外の異なるものを修行の対象としてはならない、との妙楽の釈を引かれて、この一念三千こそが天台の究極・最高のおしえであることを明かされます。


                               (続きます)