苦悩を突き抜けて歓喜へⅠ 私の骨折
日蓮仏法は、自分自身を偉大な存在と信じる宗教だ。
自分の中に仏はいると説く。
新聞啓蒙出来て喜んでいた矢先、私は転倒し左足を捻った。
激痛が走り、しばらく立てなかったが、会合に向かう途中たったので、
ひきずりながら、根性で会場に向かった。
が,次の日、左足は歩けないほど腫れあがり、病院でCTを撮ってもらうと案の定、骨折していた。
‘’こんな痛い思いをするなら、頑張らなきゃよかった‘’
という思いが一瞬、脳をかすめたが、
‘’いや、頑張っているからこそ、真言宗の、過去の謗法の罪障が一気に出てきたんだ。絶対に負けない!‘’
と思い直し松葉づえを突きながら、その後も啓蒙に歩いた。
普段、当たり前のように出来ていたことが出来くなる。
トイレにいくのも、入浴するのも、いつもの倍はかかった。
‘’どうせなら、この不自由さを楽しもう‘’
と思い、家の中は手をついて這って移動していたので
「二の腕の筋トレが出来てラッキー」とポジティブにとらえた。
車椅子に乗る人の気持ちって、こんな気持ちだったんだ、と思い、リハビリセンターで同じような境遇の人たちとたわいもない会話をして楽しんだ。
病院の先生からは「あんた、このままだと一生歩けなくなるよ」と脅されたが、
学会で培った負けじ魂で励んだリハビリが功を奏し、久しぶりに二本足で立てて、洗濯物を干すことができた時の感動。
心の中で、‘’私は、勝った‘’ と思った。
私たちの心と体は、もの凄いんだ。
人間は、どんなことになっても生きていける。
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