極悪と戦えば極善となる

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ずうずうしく 図太く たくましく


以下、於保クリニック所長 於保哲外(おぼてつがい)氏の言葉を一部抜粋


 よく池田先生が『ずうずうしく図太く、たくましくいこう』と『口八丁、手八丁でいくんだ』とおっしゃられていますが、それが正しいんですね。だから今の世の中、『悪がのさばっている』といいますが、悪がのさばっているのも問題なんですが、『いい人が自分を殺す』という間違ったことをしている事のほうが見えにくいだけに、もっと問題なんですね。


 だから、これからは、真面目な人が、善い人が、思いやりのある人が、心が優しい人が、もっともっと言いたいことをズケズケ言っていく。正義を主張していく。勢いを増していく。そうなっていくと、今のさばっている自分さえよければいいという人たちが、肩身が狭くなっていくでしょう。


 実は、この日本文化、真面目というのが、先ほどから言っている「村の文化」なんです。出過ぎた真似をすると、村八分になるんです。白黒はっきりさせる人は嫌われるんです。・・・(中略) 村の文化というのは、非常に世間体を気にし、また保守的で、そして自分の意見は言わない。表面はにこにこしていても本音は違う。建前と本音を立てわけるという特徴があるんです。


 もう一つの日本文化がある。これを「海の文化」というんです。
(野茂選手がアメリカの大リーグにいくとき)日本のマスコミはこぞって叩きましたね。「なんでいくんだ」と反対しました。しかし、野茂は淡々といきました。野茂は大阪生まれだそうです。しかし両親は五島列島の出身なんですね。この「海の文化」というのは、非常に自立的ですね。そして非常に活動的かつ開放的なんです。


 日蓮大聖人は『旋陀羅(せんだら)が子』といって『漁師の子』なんです。すなわち海の文化なんです。『旋陀羅(せんだら)』というのは、サンスクリット語で""チャンダーラ""です。すなわちカースト制度の最下層の子供であるということを誇りにされたんですね。
その時代の最下層ですからね。


 かたや、大聖人が戦った相手は、国家権力の最高峰なんです。なんの後ろ盾もなく、それと真っ向からぶつかる。これはすごい対比だと思うんです。まったく身分とか、権力を持たない大聖人と、方や権力の最高峰。ぶつかりあって、大聖人が『わづかの小島の主らが』という言い方をされる。これは村の文化のひとは、畏れ多くていえない言葉ですね。
海の文化の大聖人にしていえる言葉だったんです。


 ところが、この大聖人の仏法が大聖人亡き後、お山の宗教になるんですね。村化していくんです。村の文化に毒されていくんです。それが行き着いた先が『法主絶対』。したがって我々が行っても『お目通りかなわぬ身』と。そういう発想になっていくんです。
この階級制が強いというのも「村の文化」の特徴です。昔の村というのは、小作人だと、庄屋さんの土間に這いつくばらなければならなかったんです。門を建てていい家と悪い家があるんですね。服装までも身分で決まってしまう。