極悪と戦えば極善となる

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日顕宗の "暴力の血脈"


 旧日本軍の陸海軍では、初年兵と呼ばれる新兵は、古参兵から『体罰』、殴られることにより古参兵、上官への絶対服従を体で覚えさせられた。毎日、殴られるばかりでノイローゼになり自ら命を絶った者もいた。


 日蓮正宗宗門内では、この旧日本軍顔負けの暴力が日常茶飯事だったという。
以下、日蓮正宗改革同盟の成田雄伴氏、土井雄育氏、山口雄在氏、石井信広氏の証言。



土井氏  「日顕は何か気にくわないことがあると、一瞬のうちに逆上し、見境ないなく     怒鳴り散らし、中啓(ちゅうけい、扇の一種)で自分の気のすむまで殴ってい      た。素手で殴ったり、足で蹴ることもある。」


石井氏  「相手が中堅以上の僧侶であっても、孫ほど離れた所化(しょけ)でもお構いな     し。あれは異常というほかない。」


成田氏  「だから誰が言い出したか知らないが、僧侶の間でも"瞬間湯沸かし器"とあだ     名されていた。」


石井氏  「自分で"中啓ミサイル"などと名付けて、得意げになっていた。」


土井氏  「海軍時代に、300人の兵隊を殴ったことを、得々と自慢していたことも
     あった。"50人くらいのところで、殴っている手が痛くなったんだが、途      中でやめられないので、最後まで殴ったんだ" と。」


山口氏  「得度して初めての丑寅勤行(うしとらごんぎょう)の時、私は日顕に声をかけ     られたら、"一生懸命修行して、立派な僧侶になります`" と決意を語ろう      と期待に胸を膨らませていた。ところが丑寅勤行が終わった後、大奥から戻っ     てきたとき、日顕のすぐ後ろにいた私は、振り返った日顕からいきなり中啓      で、理由もなく頭をパンパン叩かれた。」


土井氏  「所化に何かを尋ねる際に、日顕がよくやる習癖だ。」


山口氏  「日顕が "お前は誰だ?"というので、私は"山口雄在(やまぐちゆうざい)でご     ざいます" と答えた。すると日顕は激高し、"貴様は、山口雄存(やまぐちゆ     うぞん)だ" 私は全く意味がわからず、"いいえ、雄在(ゆうざい)でございま      す。"と言ったが、日顕は狂ったように、"何を! おまえは雄存(ゆうぞん)だ。わ     かったか! 雄存(ゆうぞん)だろ!" とまくしたて、何度も私の頭をなぐりつけ     たのです。」


土井氏   「最も厳粛な儀式であるべきご開扉の際も、日顕は直前まで坊主を殴るけ       るしていたな。」


石井氏   「そう、こんなこともあった。控え室で日顕が着替えをしていた。奥番とい      う世話係が、日顕の頭の上から袈裟をかけたとき、袈裟がちょっと頭をか       すった。その瞬間、日顕は "貴様! " といって、思い切り坊主を殴ってい      た」


山口氏   「息子の阿部信彰(あべしんしょう)も怒りだしたら止まらない。親譲りの"      湯沸かし器" だ。」


土井氏   「私は、信彰が住職をしていた大修寺(東京・府中市)で手伝いをしていたこ     とがあるが、信彰も怒るととことんまで殴り、蹴り続ける。」


成田氏   「大修寺の元従業員の目撃証言では、信彰が、ものすごい形相で所化を鼻血
      が出るまで殴り、法衣(ほうえ)にも血が飛び散っていたそうだ。」


土井氏  「私自身、信彰が寺に帰ってくると、胃が、本当にキリキリ傷んだ。わずか3     か月しかいなかったが、10キロ痩せた。」


山口   「渡辺雄範さんの話では、ある坊主は精神的に追い詰められ、信彰に怒鳴られ     ただけで鼻血を流していたこともあったそうだ。」


土井氏  「所化の間でも、"阿鼻叫喚(あびきょうかん)の大修寺"と恐れられていた。」


成田氏  「現法主、早瀬日如(はやせにちにょ)の凶暴性も有名だ。渡辺雄範さんは日      如が住職をしていた大願寺(東京・新宿区)に在勤していた。日如は所化に対し     て、往復ビンタ、ひざ蹴りを食らわせ続けていたのだという。」


石井氏  「大修寺同様、絶対に行きたくない所として、""地獄の大願寺""と呼ばれてい     た。」