極悪と戦えば極善となる

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差別する一切と戦う


以下、法華経の智慧第六巻より  池田先生の言葉を一部抜粋


 ともあれ、どんなきらびやかな言葉も、民衆の現実の苦しみに背を向けたのでは、偽善にすぎない。自分が「高い所」にいて、安穏に暮らしているだけなら、もう仏法は死んでいる。


 法華経の真髄を弘めるために出現された大聖人が、あえてもっとも「低い所」にお生まれになり、御自身を""旋陀羅(せんだら)が子"" と宣言なされた深義(しんぎ)をかみしめなければならない。大聖人は、あえて、一番苦しんでいる民衆の中に生まれ、「差別される側」に生まれて、大迫害を受けながら、「差別する人間」たちとの闘争を開始されたのです。


 次元は違うが、「自分を低い所におく」ということで思い出すのは、パールバック女史の著書"【母よ嘆くなかれ】(伊藤隆二訳 法政大学出版局)です。知的障害として生まれた娘さんを抱えて、苦闘した軌跡を、ありのままに綴ったものです。どれほど心がずたずたになり、どれほど絶望と希望の間で心が揺れたことかー。


 ともあれ、パールバックさんは、「自分の娘からたくさんのことを学びました」と言う。


 「人はすべて人間として平等であるということ、また人はみな同じ人間として同じ権利をもっているということをはっきり教えてくれたのは、他ならぬ娘でした。・・・・もし、私がこのことを学ぶ機会を得られなかったならば、わたしはきっと自分より能力の低い人に我慢ができない、あの傲慢な態度をもちつづけていたに違いがありません」


 「娘はわたしに『自分を低くすること』を教えてくれたのです」


 【自分を低くすること】ー 素晴らしい言葉だ。
今は、「他人を低くすること」しか考えない世の中になっている。他人のあら捜しに狂奔(きょうほん)し、少しでも貶(おとし)めようと躍起(やっき)になっている。嫉妬社会です。


 彼女は、「自分を低くする指導者」でなければ人を幸福に導くことはできないと知った。


 永遠に「民衆の一人として」「民衆とともに」「民衆のために」生きるのです。その心を忘れて、将来、もしか自分は特別に皆より偉いと思うような指導者がでたら、皆で追放していきなさい。