極悪と戦えば極善となる

 「破邪顕正」謗法呵責をメインに記事を綴っていきます。なお、コメント欄に初投稿する場合は、軽く自己紹介をするようにお願いします。管理人が非常識、悪質なコメントと判断した場合、削除させていただくこともありますのでご了承ください。

日蓮仏法を学びながら平然と人間を軽賤する輩

『提婆達多は、人間を軽蔑し、厭悪(えんお)した。彼は自らあらゆる醜悪なる人間性の所有者、経験者であったために、凡(すべ)ての人間は彼の眼にさながら、汚穢(おわい)なる五臓六腑(ごぞうろっぷ)のままに見えた』(中勘助著 「提婆達多」)


 さて、この創価カテにも「提婆達多」さんのような『人間を軽賤(きょうせん)する』方がいらっしゃるようである。


 なぜ、アンチ創価を名乗りながら、わざわざ創価カテに登録し、愚痴めいたことを並べ立て、学会員のあげ足をとったり、悪口しているのだろう、と考えてみた。
きっと実生活において満たされていないのだあろう。幸せなら、わさわざネット空間で吠える必要はないからた。学会員を叩いて、ストレスのはけ口にしているにすぎない。



ここは、あなたたちが愚痴り、恨み言をいう場所じゃない。
とっとと、このカテから出ていきなさい。
人の読解力がどうのこうの難癖をつけるまえに、
自分自身の生命をみつめなさい。


正宗の信仰に確信をもち、歓喜しているならば、こんなところで
愚痴ってないで折伏にいってくればいい。
そしてその功徳の体験のひとつでもブログに載せてごらんなさい。



以下、8月14日付 今日の聖教新聞 新人間革命 雄飛 五十一より


『これまでに、実践なき偏頗(へんぱ)な教学に陥り、われ偉しと思い、傲(おご)り高ぶって、健気に信心に励む同志から嫌われ、退転していった人もおりました。まことに残念でならない。私たちは、いわゆる職業的仏教学者になるために教学を研鑽するのではない。自身の信心を深め、一生成仏をめざすためであり、広宣流布を推進するための教学であることを、あらためて確認しておきたいのであります。』


創価教学とは""実践の教学""であり、自他共の幸福を創造する生命の法理の探求である。