極悪と戦えば極善となる

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仏罰の恐ろしさ

『過去現在の末法の法華経の行者を軽賤する王臣万民
       始めは事なきやうにて終(つい)にほろびざるは候はず』 御書P1190



(過去、現在の末法の法華経の行者を軽蔑したり賤(いやし)んだりする王、臣、人民は、はじめは事がないように見えるが、必ず最後は因果の理法により滅亡の悲運に落ちないものはない)



 この信心は、功徳も大きいぶん、罰(ばち)も途方もなく大きい。


 以下、今まで自分が見てきた健気に純粋に信仰に励んでいる学会員をいじめたり、苦しめたりした人が受けた仏罰の例をあげておく。なお、プライバシーに配慮するため、具体的な表現はできるだけさけていく。


 ・学会員を自分の欲望のため利用したある会社の管理職の者は、不正が発覚、自主    退職に追い込まれる
  
 ・学会員をいじめたある男性はトラブルに巻き込まれ全身に大怪我を負い、数年後に身  内を惨殺される。


 ・怨嫉し、同志を苦境に追いやった学会員は、頭破作七分状態となり、身内が突然死


 ・宗門側につき、同志の悪口を近所の人に言いふらしていた元学会幹部が
  突如、交通事故にあい命を失う


 ・嫉妬が原因で女子部員を苦しめた若い女性は、彼氏ができた直後、その相手が事故死



 また、他にも思い出したら書いていくが、このように『命にかかわる』ほど、法華経の行者を見下し、苦しめた罪は深いのである。私がみてきたケースでは、""自分が
一番大切にしている人""に出る(配偶者、子供、親、恋人など)場合が多かった。


 だから、謗法をする者をみたら厳しく戒めていかないといけないのである。
たとえ親兄弟であってもである。でないと、自分も""与同罪""となってしまう。


『慈無くして詐(いつわ)り親しむは 即(すなわち)ち是れ彼が怨(あだ)なり』御書P237


(相手を思う慈悲の心がなくて、いつわり親しめば、かえってその相手に害をなすものである)