極悪と戦えば極善となる

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謗法を容認する日蓮正宗中枢

『謗法と同座す可(べ)からず与同罪を恐る可き事』
『謗法の供養を請(う)く可(べ)からざる事』 日興遺誡置文P1618
                    (にっこうゆいかいおきぶみ)




 以前、大石寺檀家総代(だんかそうだい)が、日蓮正宗の信者にもかかわらず、なんと神社の氏子総代(うじこそうだい)をも兼務していた。静岡県富士宮市内にある曽我神社(そがじんじゃ)の氏子総代をしていた井出(いで)氏は、神札の購入を奨励し、数々の謗法を平然と行っていた。



 このことが発覚後、井出氏はこっそり氏子総代を退いたものの、その後も三宮神社の祭礼に参加。



 現法主である日如(にちにょ)は、7月16日付の『大白法』で""(神社には)悪鬼魔神が住みつく" "そんな場所に詣でたり、祭礼に関われば、謗法与同となり、災難と不幸に見舞われてしまう" "悪鬼魔神の片棒をかついでしまったという業が、その人の命に刻まれる" 等々、述べている。


 その割には、神社氏子総代を退いても神社に参詣している井出氏に対して、諫めるでもなく、何の処分もしておらず、同氏は平気で現在も大石寺檀家総代を続けている。一信徒ではない「大石寺の檀家総代」の謗法を見て見ぬふりとは、一体どういうことであろうか。


『謗法を責めずして成仏を願はば火の中に水を求め水の中に火を尋(たず)ぬるが如し』
                             御書P1056


 謗法呵責(ほうぼうかしゃく)は成仏の直道である。


宗開両祖である日蓮大聖人、日興上人は生涯、徹底して謗法を責め抜かれた。日興上人が『五人所破抄』(ごにんしょはしょう)を弟子の日順に書かかせたのは、身延離山から40年後である。大聖人の法を勝手に曲げた師敵対(してきたい)の五老僧を最後まで許していない。


 日興門流を名乗る管長であるならば、日興上人の遺誡を守り、しかるべき処置をとるべきであろう。


 ""謗法まみれの檀家総代""を放置している管長。


これは、大白法で日如が自ら述べた通り『謗法与同』となり『悪鬼魔神の片棒をかついで』しまっているということになると思うのだが・・・。


 御書は『身口意の三業』で拝していかねばなるまい。
いくら口で「謗法厳戒」を叫んでも、謗法を放置、容認しているのは、言っていることとやっていることがチグハグな、"身口意不相応" という他ない。