極悪と戦えば極善となる

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如来滅後五五百歳始観心本尊抄③

 日蓮大聖人は、観心本尊抄の冒頭、妙楽大師の言葉を引いて、天台の「摩訶止観(まかしかん)」第五の巻にある "一念三千" を説いた文をあげられる。


『夫れ一心に十法界を具す一法界に又十法界を具すれば百法界なり一界に三千種の世間を具すれば百法界に即(すなわち)三千種の世間を具す』御書P238


(人間の心には十界が具わっていて、またそれぞれの一界にもまた十界が具わっているので、百界となる。この百界の各一界には、三十種の世間(十如是×三世間)が具わっているので、百界に三千の世間が具わっている)


十如是 相=表面に現れた姿、形
    体=内にある性質、性分
    力=内在している力、潜在的な能力
    作=内在している力が外界に現れた作用
    因=生命自身の中にある変化の直接的原因
    縁=内・外にわたる直接的原因
    果=因と縁が和合して生じた直接的原因
    報=その結果が形に現れたもの
    本末究竟等=相~報までの九如是が統一性を保っていること


三世間 五陰世間=衆生の生命を成り立たせる五つの要素である五陰の働きが衆生の十界         の境涯の違いによって異なること
    衆生世間=衆生に十界の差異があること
    国土世間=衆生の住む国土・環境にも衆生の生命の境涯に応じて十界の差異が現         れること


世間とは、差異、差別の意味
  
十界×十界×十如是×三世間=三千世間


一念三千とは、人間の瞬間の生命(一念)に、森羅万象(三千)が収まっていることをいう。つまり、一切の現象も原因も結果もすべて人間の心、生命の反映であるということである。
        
天台大師=天台大師智顗(てんだいだいしちぎ)6世紀中国南北朝時代の人で天台宗の開祖で、『五時・八教』という教判の中で、釈尊の一代聖教の勝劣浅深(しょうれつせんじん)を判別し、法華経が最も優れている教えだということを示した。


天台三大部の一つの『摩訶止観』とは、


魔訶(まか)=偉大な
止観(しかん)=揺れる心を一つに定め(止)、それによってあらわれた智慧によってありの       ままに物事をみる(観)


という意味である。


大聖人は、妙楽大師の言葉をひいて、一念三千の法門を説いている『摩訶止観』こそ天台の究極の教えであると述べられている。


一念三千を現代風にシンプルにいうと


""どんな人にも仏界がある、平等である""


ということになろうか。


大聖人は『一念三千法門』で、


『究竟等(くきょうとう)と申すは妙覚究竟の如来と理即の凡夫なる我等と差別無きを究竟等とも平等大慧(びょうどうだいえ)とも申すなり』(御書P413)


『仏と我等と総て一切衆生・へだてなきを平等大慧と云うなり』(同)



仏と衆生に隔たりがなく""平等である""と仰られている。
法華経では、""仏とはどこか遠いところにいる特別な存在ではない""と説く。
仏とは、人間のことであり、釈尊、天台、伝教、大聖人のような偉大な仏の生命が、我々凡夫の中にもある、と説く。


 従って、自らを高みにおき、上から目線で民衆を睥睨している者などは、""エセ仏法者""なのである。