極悪と戦えば極善となる

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怨嫉は功徳がゼロになる

 怨嫉は功徳を消すといわれているが、そうは言っても人間同士の集まり。
頭では悪いとわかっていても、ついついやってしまうのが凡夫の性だろう。
いくつかそのパターンをあげてみる。


・自分が怨嫉していることに気づかず、自己を正当化している
・相手に怨嫉していることに気づいているが、どうしようもなく憎く思ってしまう
・十四誹謗を頭では悪いことだと思っているが、どれだけ罪があるのか生命でわかっていない
・怨嫉が悪いことだと思っていない


日蓮大聖人は
『何(いか)に法華経を信じ給うとも謗法あらば必ず地獄にをつべし』P1056
(どのように法華経を信じていても、謗法があれば、必ず地獄におちる)


と厳しく戒められている。


十四誹謗の中の、この四つは特に気をつけていきたい。


「軽善(きょうぜん)」同志を軽んじる
「憎善(ぞうぜん)」 同志を憎む
「嫉善(しつぜん)」 同志をねたむ
「恨善(こんぜん)」 同志を恨む


これがあると、せっかく今まで積んできた福運も、一瞬で消えてしまうことになるから
だ。


組織において、""この人とは、性格があわない""と思う場合もあるだろう。
好き嫌いもあって当然だ。
そんなときはどうするか。
難しいが、相手にお題目を送ることだ。
私は、人間関係で悩んで指導をうけたときには、
先輩に一貫してそう言われ続けてきた。


はじめは抵抗があるかもしれないが、
祈り始めた時点でもう解決の一歩へと踏み出している。
必ず、自分にとって損することはない。
自分が強き信心に立てば、どんな人も善知識へと変えていくことができる。


以下、新人間革命から池田先生の御指導


『人間というものは、なかなか自分を見つめようとはしないものです。皆が団結できず、地域の広宣流布が遅々として進まない組織がある。何人かの幹部に""どこに原因があるのか""と聞いてみると、たいてい『あの人が悪い』『この人が悪い』等々、たくさん理由をあげる。確かに、そう指摘される人にも問題があるかもしれませんが、そこには、自分はどうなのだという視座が欠落している。他の人が悪いからといって、自分が正しいとは限りません』



 『ところが、"自分に責任があるのだ。私が悪い"とは考えない。つまり、「己心の外」にばかり目がいってしまい、大聖人の御聖訓も、学会の指導も、他人を測り、批判するための尺度となってしまっているんです』



 『本来、仏法の教えというものは、自分の生き方の尺度とするものです。ここを間違えると、信心の軌道を大きく踏み外してしまうことになります。だから、皆さんには、幸せになるために、自分自身に生き抜き、本当の信心を貫いてほしいんです』



 『ともかく、題目を唱えていけば、自分が変わります。自分が変われば、環境も変わる。したがって、いかに多忙であっても、勤行・唱題という根本の実践は、決しておろそかにしてはならない。その根本がいい加減になれば、すべてが空転してしまい、価値を創造していくことはできないからです』


           (2016・4・23付聖教新聞 新人間革命 力走 二十六より )