極悪と戦えば極善となる

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反逆者の末路②

新・人間革命 第8巻 清流より一部抜粋


 一方、妻の三重子は、後年、低俗な週刊誌などに登場し、山本伸一の事実無根のスキャンダルを流すようになった。そこでは、自分が学会の被害者であるかのように装い、聞くに堪えない中傷と誹謗を重ねたのである。


 ところで、不祥事を起こし、学会に迷惑をかけて退転していった人間は、必ずといってよいほど、学会を逆恨みし、攻撃の牙をむくものである。
 それは、一つには、学会を利用し、果たそうとした野望が実現できなかったことから、学会を憎悪し、嫉妬をいだくためといえる。
 
 また、不祥事を起こした、脱落者、敗北者の""負い目"" ""劣等感""を、拭い去ろうとする心理の表れともいえる。そのためには、自己を正当化する以外にないからだ。
 そこで、学会や山本伸一を『巨悪』に仕立て上げ、自分を、その被害者、犠牲者として、『悪』と戦う『正義』を演じようとする。



 この本末転倒の心の在り方を、『悪鬼入其身』というのである。



 しかし、そうした輩の中傷は、なぜか、自分の犯した悪事と同じことを、学会が犯していると吹聴するケースが多い。「蟹は甲羅に似せて穴を掘る」といわれるが、人間の思考も、自分の境涯の投影であるからであろう。


 そして、退転者の流すスキャンダルを鵜呑みにする人もいれば、本質を見抜き、一笑に付す人もいる。その反応にも、その人の境涯、人格、人間観が端的に表れる。人間は、常に自分を基準にしてしか、他者や物事を推し量ることができないからである。


 ともあれ、ものに憑かれたように、憎悪をむき出して、伸一と学会への中傷を重ねた沼山三重子であったが、その末路は、無残この上なかった。
 彼女は、なんと、晩年になると、かつて、ともに活動した学会員のところへ電話してきては愚痴をこぼし、学会に戻りたいと語るようになった。


 彼女からの電話を受けたメンバーは、一様に驚きと怒りを覚えた。
 ある婦人部員は、こう叫ぼうとした。


「ふざけないでよ!学会を裏切り、さんざん迷惑をかけておいて」


 しかし、それを言葉にできなかった。
三重子の声は、あまりにも苦しそうな、うめくような声であったからだ。哀れさが先に立ってしまったのである。


ある時、沼山三重子は、かつての婦人部長である、清原かつを訪ねてきた。


「学会にご迷惑をおかけして、本当に申し訳ありませんでした。もう一度、もう一度、学会員にしてください・・・」


 病に苦しみ、死をみすえた彼女は、学会に敵対し、仏法に違背した罪の深さに、気づかざるをえなかったのだろう。


 仏意仏勅の団体である創価学会の組織を攪乱し、反旗を翻した罪はあまりにも重く、限りなく深い。


 大聖人は『法華経には行者を怨む者は阿鼻地獄の人と定む』御書P1398と仰せである。かつて教学を学んだ彼女は、病苦のなかで、わが身の罪業の限りない深さに気づき、恐れおののき、地獄の苦にあえぎ続けていたにちがいない。しかも、その業苦は生々世々にわたることであろう。


 清原は、哀れ極まりない沼山三重子の姿を目の当たりにすると、胸がしめつけられ、怒る気にもなれなかった。そしてあまりにも厳しい仏法の因果に慄然とした。


「懺悔滅罪のお題目よ。ともかく、命ある限り、御本尊に罪をお詫び抜くしかないで
しょ」


 しかし、ほどなく三重子は他界している。無残な末路といわざるをえない。


 人は騙せても、自分は騙せない。
また、自分は騙せても、仏法の法理をごまかすことは絶対にできない。
生命の法則の審判は、どこまでも厳格であり、峻厳であることを知らねばならない。