極悪と戦えば極善となる

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御本尊の相貌に提婆達多がある理由

 子供のころ実家には日達猊下の御本尊が安置されていた。


その御本尊にしたためられている「第六天の魔王」と「提婆達多」がずっと気になっていた。


 提婆達多は、ご存知のように蓮華色比丘尼を撲殺したり、師敵対して釈尊の命を付け狙うなど悪逆非道の限りをつくした人物である。五逆罪のうち彼は、


・破和合僧(教団の和合を破壊し分裂させる)
・出仏身血(仏の身から血を出させる)
・殺阿羅漢(阿羅漢果を得た聖者を殺す)


 以上の三逆罪を犯し、生きながら地獄に堕ちたといわれている。
その極悪人が何故御本尊の相貌にあるのか不思議だった。


 青年部のとき観心本尊抄講義で一念三千のことを学び、「九界即仏界」「仏界即九界」で、どんな悪人にも仏界が具わっていると教えられた。第六天の魔王や提婆達多が御本尊にしたためられている理由も理解できた。



 だとしたら、悪人を責める必要があるのか?という疑問がわいてきた。
もともと事なかれ主義で波風たつのが嫌な性分だった私は、「そういうことは、教宣部の人がすること」とずっと思っていた。


 しかし、後にある人物が悪鬼入其身となり、大謗法をするのを見逃してしまった結果、その人物は筆舌しがたい苦悩を味わうことになる。嫌われるのを恐れて何も言わないのは、かえって無慈悲になるということを学んだ。


以下、御書の世界 第2巻 池田大作 御本尊(下)より


【釈尊は、徹底して提婆達多の悪を責めました。そのことは疑う余地がない。実は悪を責めることで悪人を目覚めさせることができるのです。妙法の正義の声を聞くことで、悪人の心に眠っていた仏性が動き出すからです。しかし、悪人の心は厚い岩盤のような無明に覆われているから、弱い声では届かない。悪を厳しく責める糾弾の声こそが、その岩盤を打ち破って仏性を照らすのです】



【不軽菩薩は戦い続けて勝ったのです。正義が沈黙してしまえば、悪はますますはびこってしまう。悪人自身が悔ゆる心を起こすまで、悪を責め続けることが慈悲に通じるのです】


【御本尊には単に、釈尊に敵対し悪逆の限りを尽くし、至極の苦悩にさいなまれている提婆達多が描かれているわけではない。妙法の光明に照らされて、地獄界の調和という使命を帯びて、まさに提婆でなければなりえない地獄界における妙法の使者となった提婆達多を見ているのです】