極悪と戦えば極善となる

 「破邪顕正」謗法呵責をメインに記事を綴っていきます。なお、コメント欄に初投稿する場合は、軽く自己紹介をするようにお願いします。管理人が非常識、悪質なコメントと判断した場合、削除させていただくこともありますのでご了承ください。

巧言令色を用いる悪知識

巧言令色(こうげんれいしょく)とは、言葉が巧みで、口先だけで人に媚びへつらうこと。
日蓮大聖人は「唱法華題目抄」P7でこう仰せである。



【悪知識と申すは甘くかたらひ詐(いつわ)り媚び言(ことば)を巧みにして愚痴の人の心を取って善心を破るといふ事なり】



(悪知識というのは、甘い言葉で語りかけ、いつわり、媚び、言葉巧みに愚かな人の心を取って仏道修行の心を破壊してしまうということである)



信心を破壊してしまう存在である、悪知識。
悪知識によって心と体を蝕まれることほど、恐ろしいことはない。



【悪象等に於いては畏るる心なかれ悪知識に於いては畏るる心をなせ何を以ての故に悪象は但身をやぶり意(こころ)をやぶらず・悪知識は二共にやぶる故に】


(悪象(車にひかれるなど、交通事故等)においては、「身体」を破るだけで「心」まで破れない。悪知識は、「身体」と「心」両方破る故である)


 ゆえに悪知識を恐れ、悪知識を見破り、遠ざけることが必要である。
人を『信じる眼』『疑う眼』両方、養っていかなければならない。


 戸田先生は「この悪知識のなかには悪書も含まれる」と言われていたそうである。



池田先生は悪縁にふりまわされないよう、以下のように御指導されている。



「わが生命が、つまり法性が、とうして無明癡惑(むみょうちわく)になるかというと、悪縁に迷わされるからです。生命というのは、縁によって変化します」


「凡夫の生命は、弱さ、愚かさをもっています。その弱さ、愚かさが癡迷(ちめい)です。癡迷に覆われた生命であるがゆえに、悪縁に触れると、洗浄の二法のうち染法(せんぽう、生命が悪縁に染まっていくこと)が働いて、法性はどうしても無明になってしまうんです」


「御本尊は極善の縁です。この御本尊を拝むことで、絶対の幸福境涯を築いていくことができるんです」
          (人間革命ワイド版10巻 一念の章より)


 悪縁が多いこの娑婆世界では、""極善の縁""である御本尊に向かい、絶えず唱題して生命を磨いていくことが大事になる。