極悪と戦えば極善となる

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破和合僧

人間革命聖教ワイド版 4巻 秋霜より


 東京の木場で名の通った、堀部十郎という材木商がいた。
戦前からある教団の大幹部として、なかなか幅をきかせていたのだが、戦後の折伏で1947年に入会した。恰幅がよく、愛想のよい、世故にたけた人物であった。
 
 堀部は内心の慢心と、少々の財力を鼻にかけて学会の指導に反発していた。
その結果が功徳ではなく、営業の不振であったことは当然のことであった。


 彼はいつも担当の幹部に食ってかかっていた。
だが、だんだんに仏法の厳しさを教えられ、翻然として素直に実践しはじめた。
果たして彼の事業も、その後、隆盛にむかった。


 堀部はそれを喜んではいたものの、かつて他教団の幹部であったことが忘れられなかった。周囲の貧しい学会員を軽蔑し、慢心と不遜の念を抱いていた。


 1950年(昭和25年)秋、戸田に対する一部の批判は堀部の野心をあおった。
彼は不平分子と語らい、数十世帯をまとめて、戸田と対決しようと講を結成し、その講頭におさまった。堀部は思った。


""この信心は立派だから、信心は絶対にやめない。創価学会も日蓮正宗の一つの講ではないか。ならば、われわれの講も同等の講ではないか。もっと自由に、気楽に、信心を楽しくやっていこうではないか""


 彼の屁理屈とさまざまな策動は、すべて戸田城聖への反逆心からでた、対抗意識以外の何ものでもなかった。創価学会の尊い使命を知る由もなかった、この堀部の行動は、取りも直さず日蓮大聖人への反逆であった。そのことはわずか数年で明確になったのである。


 三年もたたないうちに彼の材木屋は倒産したのだ。
倒産ということだけならば、さほど珍しいことでもないのだが、木場の伝統から見るとき、それまでにない倒産の仕方であった。


 木材業者の激しい浮沈は、木場では珍しいことではなく、七転び八起きが当然のこととされている。そのためか江戸時代から木場では、一人が倒産すると、大勢の同業者が力を合わせて盛り立て、なんとかして再起させようとする相互扶助の知恵が生んだ伝統が、戦後も残っていた。


 ところが堀部の倒産は、木場の人々が不思議がるほど、こうした伝統から全く見放された悲惨な結末であった。堀部の窮状を見ても、誰一人、木場の仲間で救援の手を差し伸べた人はいなかった。これこそ伝統にない、冷酷な倒産といわなければならない。仏法でいえば、謗法のゆえに、諸天善神が全く見捨てた姿ではなかったろうか。


 堀部は、やがて木場を引き払わざるを得なくなった。
そして、講の仲間たちからも締め出された。かつての木場の名門の主人は、失意のうちにこの世を去っていったのである。


 当時、彼に勧誘されて、危うく堀部の講に入るところを、やっと踏みとどまった一部の学会員は、後々まで、冷や汗をかく思いで、この事件を語り草にした。