極悪と戦えば極善となる

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仏法の因果律ー体曲がれば影ななめなり

""世法で苦労すれば苦しみが残る。信心で苦労すれば喜びと福運が残る""


河合師範の有名な指導である。
誰しも、何かで悩み、苦労していると思う。
どうせなら広宣流布のために我が身を惜しまず使い、喜びと福運を積んでいきたい。


 広宣流布のための労苦を惜しめば、いつか必ず、そのツケは回ってくる。
仏法は厳しい。功徳も大きいが罰も半端なく大きい。それは、幹部であろうが、一会員であろうが、因果は平等にめぐってくる。


以下、新・人間革命26巻 奮迅より



 「日蓮大聖人は『仏法は体のごとし世間はかげのごとし体曲がれば影ななめなり』御書P992 と仰せになっいます。体である信心が確立されてこそ、その影である仕事をはじめ、世間のことも順調に進んでいくんです。また、たとえ仕事で困難に直面することがあったとしても、見事に乗り越えていく力がでるんです。戸田先生が事業で行き詰った要因の一つは、自分が第二代会長になるのを避けてきたことにあると、私に語ってくださいました」


 その時、戸田は、こう言ったのである。


 「私は、牧口先生の遺志を受け、会長として立って、広宣流布の指揮をとらねばならぬことは、よくわかっていた。しかし、会長の責任の重さを考えると、ためらわざるを得なかった。とても、あの牧口先生のようにはできぬと思ったからだ。しかし、それは仏意仏勅に反することであった」


 「自分が躊躇していた分だけ、広宣流布を遅らせ、民衆は不幸に喘ぎ続けた。私は、自分の事業が完全に行き詰まって、初めて目が覚め、そのことに気づいたんだよ。私たちには、広宣流布という久遠の使命を果たす使命がある。学会の役職はそのための責任職だ。疎かに考えてはならん」


 伸一は、学会の役職について、戸田が語っていたことを、かいつまんで話した。


(忙しいからと役職を避けていた壮年に対して)
 伸一は、その後も、折々にその壮年と語り合い、激励を重ねていった。やがて壮年は学会の役職にも就き、幹部として張り切って活動に励むようになった。ところが、しばらくすると、また、「仕事が忙しいから」と言って、学会活動をなおざりにするようになった。


 ほどなく、株価の大暴落が起こった。彼は、あれこれ手を尽くしたが、乗り切ることができず、会社は倒産してしまった。壮年は再び反省、奮起し、信心に励むと、業界で推されて新しい会社を任された。だが、資金繰りに追われる日が続き、また、活動から遠ざかっていった。その会社も、わずか八か月で破綻したのである。


 後年、この壮年は、『体曲がれば影ななめなり』P992 とのご聖訓に絶対間違いはありません。信心という根本を忘れて、二度も地獄を見た私が言うのですから、間違いはありません」と、伸一に述懐している。