極悪と戦えば極善となる

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自分の生命が必ず変わると自覚する信心

 『生死一大事血脈抄』において大聖人は、「衆生が生死一大事の血脈を受けるには、どのような信心に立つべきか」を弟子たちに指南されている。



『久遠実成の釈尊と皆成仏道の法華経と我れ等衆生との三つ全く差別無しと解りて妙法蓮華経と唱え奉る処を生死一大事の血脈とは云うなり』 御書P1337



久遠実成の釈尊・・娑婆世界で衆生を救い続けている常住の仏(大聖人)


皆成仏道の法華経・・成仏の根本因である妙法蓮華経


我れ等衆生・・・凡夫である私たち



仏、法、衆生(自分)とか全く差別(違い)がないんだ、【自身が妙法蓮華経の当体である】と確信して題目を唱えるところに生死一大事の血脈がある、と明確に仰せである。


さらに、


『此の事但(ただ)日蓮が弟子檀那等の肝要なり法華経を持つとは是れなり』(同)


このことは、日蓮の弟子檀那らにとっての肝要である。法華経を持つということは、このことをいうのである、と述べられている。



 大聖人のすごいところは、あの封建時代に『仏と法と衆生が平等に尊い』と説かれたところだ。大聖人は時代の一歩二歩先をいくどころか、百歩も二百歩も先をいかれていた。だから、異端視され、迫害をされたのだと思う。



 この偉大な大聖人と同じ仏の生命が我が己心にも具わっていると確信して日々、唱題に励むことが大事である。



 『日本国の一切衆生に法華経を信ぜしめて仏に成る血脈を継がしめんとするに・還つて日蓮を種々の難に合せ結句(けっく)此の島まで流罪す』(同)


 (日本国の一切衆生のあらゆる人々に法華経を信じさせ、仏になる血脈を継がせようとしているのに、かえって日蓮を種々の難に合わせ、揚げ句のはてには、この島(佐渡)まで流罪にした)



 このように""一切衆生に法華経を信じさせ、仏になる血脈を継がせよう""というのが大聖人の本意であったと拝される。このように信心の血脈とは万民に開かれているものであり、一人の特別な人間が独占するようなものではないのである。