極悪と戦えば極善となる

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会津の悲劇



白虎隊 泪橋の戦い 娘子軍 中野竹子


【人間の生命というのは不思議なもんで自分のためだけに生きて自分のためだけに死ぬというほど人間は強くない。人間は何かの理想なり何かのためということを考えているんで、自分のためだけに生きるということはすぐ飽きてしまう。死ぬのも何かのためということが必ず出てくる。それが昔言われた「大義」というものです】
                                三島由紀夫


私は子供のころから無類の「歴史好き」で、何年か前に福島の会津若松市に観光で訪れ、白虎隊(幕末・会津藩の少年部隊)が眠る飯盛山のお墓で冥福を祈り手をあわせた。


「女白虎隊」とも呼ばれている「会津娘子軍」という女子だけで結成された軍があった。
武家の婦女子なので、日頃から薙刀などの訓練を受けていたと思われるが、男性より腕力では確実にかなわない女性たちが、ジャンヌ・ダルクのごとく長州・大垣の猛者たちに立ち向かっていける強さの根源は、やはり「会津を絶対に守る!!」という強き一念だったと思う。


とはいえ、異国の軍隊に責めてこられた恐怖は量りしれないものがあっただろう。


ウクライナでの戦争もまだ終わっていないが、今後、白虎隊や会津娘子軍、二本松少年隊(二本松藩から戊辰戦争に出陣した12歳~17歳の少年部隊)などの悲劇がおこることのないよう平和を祈っていこうと思う。

白虎隊が眠る 飯盛山

お題目の人にはかなわない

故・浜崎巌さん(島根初代支部長)は唱題に徹する方だったという。


「私は口下手です。だから、大勢の前で話すより、一人と会うことに全力をあげています」


支部結成の挨拶で、緊張で言葉が出なくなったその時、
「支部長がんばれ!」と声援があがった。


緊張でうまく話せず、落ち込んでいた浜崎さんに池田先生は「声仏事」としたためて贈られた。


浜崎さんは、ロウソクを持ち歩き、悩める友がいると「これがなくなるまで祈れば、必ず願いは叶うよ」とロウソクを手渡して激励した。


「題目の浜崎」と呼ばれるほど、徹して祈り、広宣流布のために動かれた。
字を読むのが苦手だった浜崎さんは、大事な御書のページを暗記し、激励する相手に拝読してもらった。


「わしゃ無学だけん」とご生前、語られていたようだが、
教学があっても勘違いをおこし「増上慢」になり、退転していった幹部はいる。
地道で愚直な信心が大切だと教えられる。


                      (参考文献『わが忘れ得ぬ同志』より)

吃音克服体験談Ⅱ

私が吃音の悩みを完全克服した体験を、前前回の記事にあげたが、池田先生の著作『我が忘れ得ぬ同志』にこんなエピソードが載っていた。



【(長瀬)軍三さんが折伏した人に、八百屋の青年がいた。その青年は吃音が悩みであった。ある会合で、軍三さんはその青年に司会役を頼んだ。なんとか自信を持たせ、乗り越えさせたいという切なる思いからだった。青年は挑戦した。しかし、うまくいかず、会場から笑い声があがった】


【その時だ。軍三さんが怒った。「みんな、なんで笑うんだ。彼が必死に宿命転換に挑んでいるのに、ひどいじゃないか!」その目は涙で潤んでいた。笑った人たちは、軽率さを恥じた】


【青年は、軍三さんを「おやじ、おやじ」と心底から慕い、大成長して吃音も見事に乗り越えた。この青年は、後に保土ヶ谷区金沢区の区長を歴任した】