極悪と戦えば極善となる

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第六天の魔王が率いる十軍

以下、新・人間革命 第27巻 激闘より 池田先生の御指導を一部抜粋
                 


この第六天の魔王とは何か。
人びとの成仏を妨げる魔の働きの根源をなすものです。
魔王という固有の存在がいるのではなく、人びとの己心に具わった生命の働きです。


 では、魔軍の棟梁である第六天の魔王が率いる十軍とは何か。


第一の欲とは、自分の欲望に振り回されて、信心が破られていくことです。


第二と憂愁(うしゅう)は、心配や悲しみに心が奪われ、信心に励めない状態です


第三の飢渇(けかち)は、飢えと渇きで食べるものも飲むものもなくて、何もできないこと     です。学会活動しようにも、空腹で体を動かす気力もない。だから""とても仏道修行などできない。やめてしまおう""という心の働きでしょう。



第四の渇愛(かつあい)は、強い喉の渇きを覚え、ひたすら水を求めるような貪りの心で      す。頭ではわかっていても、抑えることのできない自分の執着に突き動かされてしまう。そして、結局は信心を捨ててしまう。


第五の睡眠(すいめん)は、睡魔のことです。たとえば、""唱題しよう""""御書を学ぼう""と     すると眠気が襲ってくる方もいると思います。釈尊も悟りを得るまでのなかでこの睡魔と懸命に戦っています。


第六の怖畏(ふい)は、恐れることです。信心することによって、周囲の人から奇異な目で     見られたり、仲間外れにされるかもしれない。時には、牧口先生のように、迫害され、命に及ぶこともあるかもしれない。そうなることを恐れ、学会から離れたり、信心を後退させてしまうことがこれにあたります。



第七の疑悔(ぎげ)は、疑いや後悔です。せっかく信心することができたのに、御本尊を疑     い、学会を疑い、難が競い起これば""信心などしなければよかった""と悔やむ。


第八の瞋恚(しんに)とは、怒りの心です。「折伏をしましょう」と指導されると、"よけ     いなお世話だ""と憤り、怨嫉してしまう。また、学会の先輩が本人のためを思い、御書に照らして信心の誤りを指摘すると、腹を立て、恨む。そういう心の作用です。


 たとえば、いい加減で周囲に迷惑ばかりかけている、問題の多い先輩幹部がいたとする。その姿を見て憤りを感じる。それは当然です。しかし、ともすると、"だから私は学会活動をやらない。会合にもでない" ということになってしまう。それが瞋恚という魔にやられた姿なんです。自分が人間革命を一生懸命目指して仏道修行していくことと、先輩幹部がだらしないこととは、本来、別の問題です。それを一緒にして、自分の信心の後退を正当化しようとする心こそ、克服すべき対象なんです。


第九の利養虚称(りようこしょう)ですが、利養は、利を貪ることです。虚称は、虚名にと     らわれていることをいいます。つまり、名聞名利を追い求め、信心を軽んじ、成仏への道を踏み外してしまう生き方です。


 学会の人事でも、正役職から副役職になったときなど、自分が軽視されているように思い込んで、新しく幹部に登用された人を嫉妬し、学会活動への意欲をなくしてしまう人がいます。それは虚称の心によるものです。その心を打ち破っていく戦いが信心なんです。


第十の『自高蔑人』(じこうべつにん)、
これは、自ら驕り高ぶり、人を卑しむことです。つまり、慢心です。慢心になると、誰のいうことも聞かず、学会の組織について、謙虚に学ぶことができなくなる。また、周囲も次第に敬遠し、誤りを指摘してくれる人もいなくなってしまう。社会的に高い地位を得た人ほど、この魔にたぶらかされてしまいがちなんです。


『自高蔑人』の心をもつと、みんなが褒め讃えてくれれば、学会活動にも参加するが、機嫌をとってくれる人がいないと、仏道修行を怠ってしまう。したがって、宿命転換も境涯革命もできず、福運も尽きていきます。そして、結局は、誰からも相手にされなくなってしまう。


 信心の世界、仏道修行の世界は、一流企業の社長であろうが、高級官僚であろうが、大学教授であろうが、あるいは、学会の最高幹部であろうが、皆、平等なんです。地位も、名誉も、関係ありません。信心の実証を示すために、社会で成功を収めていくことは大事です。しかし、それが名聞名利のためであれば、信心のうえでは、何の意味もありません。


 信心の世界では、一生懸命にお題目を唱え、たくさんの人を折伏し、誰よりも個人指導に励み、多くの人材を育ててきた人が偉いんです。広宣流布のため、仏子のために黙々と汗を流してきた人が尊いんです。信心の王者こそ、人間王者なんです。最高最大に御本仏から賞讃される大福運、大勝利の人であることを確信してください。