法主絶対論を唱えた左京日教

富士門の日鎮(第12世法主)がわずか13歳で貫首に就任すると、「稚児貫首」の宗内の批判をかわすため、日鎮の教育係であった左京日教は、「法主は大聖人の生まれかわり」であるなどとし、「法主絶対論」を唱えた。
左京日教の師匠である第9世法主日有上人は、「法主は僧俗の師匠」であるとしたが、法主=大聖人=御本尊(信仰の対象)であるとは主張しなかった。
左京日教の「法主絶対論」は日興上人の「時の貫首為りと雖も仏法に相違して己義を構えば之を用う可からざる事」とのご遺誡に大きく違背している。
左京日教の没後の時代にも富士門では「法主絶対論」が主張されたときがあった。第17世法主日精が敬台院と仲違いし、法主という立場にもかかわらず日精が大石寺を捨てて江戸の常在寺にいくと、大石寺は法主不在で廃絶の危機に陥り、そのドタバタ劇の中で日舜が法主の座についた。
敬大院に日舜を推薦した法招寺の日感は、日舜が異常な経過で法主になったことへの宗内の批判をかわすため、大石寺の檀徒に以下のような書状を送っている。
「是の相承を受く人は学不学によらず生身の釈迦日蓮」
「如何様の僧貫首となるとも相承伝受候上は生身釈迦日蓮たるべきこと開山の御本意一門徒の肝要にて御座候」
(富士宗学要集5巻P271)
(相承を受けた人は、学があろうとなかろうと、「生身の釈迦・日蓮」)
(どんな僧侶が法主になろうとも、相承を受ければ「生身の釈迦・日蓮」であるとすべきことが、御開山・日興上人の御本意であり、門徒の肝要であります)
【信奉するに値しない法主 おかしな法主が出現した時などに、ことさら法主を権威化し、
人々の批判を封じ込めるために「法主絶対論」が唱えられる】(小林正博氏)
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