極悪と戦えば極善となる

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梵我一如さんのご質問への返答Ⅱ

戒壇本尊については、教学試験の勉強で


『熱原の三烈士の殉教をみて、時を感じられた大聖人は弘安二年十月十二日、本門戒壇の大御本尊を建立されました』


と習いましたし、ずっとそれを信じていましたから後世の造立と聞いてとても複雑な気持ちになりましたが、鎌倉時代の遠い昔の出来事が、後世に誤って伝承されてしまうこともあるかもしれない、とも思いました。


御書についても、『「百六箇抄」「本因妙抄」は写本のみで原本が残っていないから偽書である』とか、いろんな説がネットでも飛び交っていますが、タイムスリップでもしない限り、その真偽は確かめようがないのかと。私個人は、相伝書と呼ばれる此の二つの書は偽書ではないと思っていますが、情報が氾濫している昨今、取捨選択が難しいところです。


戸田先生は、戒壇の大御本尊のことを「究極中の究極」と当時は信じていたと思いますよ。


ただ、堀日亨上人はこのこと(戒壇本尊の真実)を知っていたかもしれない以下の文献も残っています。


『然れば当時何事か宗祖の本懐満足と云ふ史実が有ったらうかと考えてみると、先師が曾て直ちに此の文(聖人御難事の「余は二十七年なり」の文)を以て戒壇本尊顕彰の依文を為れたやうだが、直接の文献は無いやうである』
                    
                     (堀日亨著「熱原法難史」より)