極悪と戦えば極善となる

 「破邪顕正」謗法呵責をメインに記事を綴っていきます。なお、コメント欄に初投稿する場合は、軽く自己紹介をするようにお願いします。管理人が非常識、悪質なコメントと判断した場合、削除させていただくこともありますのでご了承ください。

猫さんへ⑦

「学会は在家なので僧伝は受けていませんから」



途中の人師からの「僧伝」を受けるより、大聖人から「相伝」を受けるほうが大切ですよね。



「此の品の時最上第一の相伝あり、釈尊八箇年の法華経を八字に留めて末代の衆生に譲り給うなり八字とは当起遠迎当如敬仏の文なり、此の文までに経は終るなり当の字は未来なり当起遠迎とは必ず仏の如くに法華経の行者を敬う可しと云う経文なり」御書P781



御書の通りに如説修行している法華経の行者を""必ず仏の如くに""敬っていくことこそ、
大聖人からの相伝を受けたことになるのです。



それは、日蓮正宗要義の「随力弘通の任に当たる本宗僧俗のすべてが僧宝である」という言葉にもつながるのではないですか。



「在家だから」「信徒のくせに生意気な」と仏子を見下し、謗っている者は、法を謗ることになり、たとえ僧侶であっても大聖人からの相伝を受けたことにならないのです。



猫さんへ⑥

戸田先生の「御法主上人は、六十四代の間を、私どもに、もったいなくも師匠として
大聖人そのままの御内証を伝えておられるのです」との御指導について


「別体三宝」と「住持三宝」という表現は、いつの時代から正宗でされていたのか私には
わかりません。戸田先生が当時↑のような御指導をされたのは、その「住持三宝」という正宗の教義に則ってされたものと思われますが、


もともとの三宝の意味は、仏法者が敬うべき三つの宝のことで、汚れなく、威徳があり、衆生を救済する宝のこと。


時の法主が、「汚れなく、威徳があり、衆生を救済していけるような徳のある人物」であるならば、間違いなく僧宝にあたるのでしょう。


しかし、遊興にふけようが、所化に暴力をふるおうが、「カマシ」を入れようが、相承を受ければ、どんな人物でも直ちに「大聖人の法魂が宿る」などと、やみくもに尊ぶのは間違いです。


戸田先生は、「御僧侶」は尊ばれましたが、堕落した「悪坊主」には、烈火のごとく叱責されました。戸田先生が登山されると、やましさのある坊さん連中は、怖くて逃げまわっていたそうです。


戦時中、神本仏迹論の邪義を唱えた宗門の悪僧、小笠原慈聞をそのまま放置せず、
牧口先生の墓前で謝罪させた話は、元・学会員の猫さんならご存じでしょう。


もし、戸田先生のご存命中に、日顕のような人物が法主だったら、容赦なく弾劾されていたと思いますよ。「宗門に巣くう邪悪とは、断固、戦え・・!」「追撃の手を緩めるな」というのが戸田先生のご遺訓ですから。





猫さんへ⑤

聖教新聞紙上の池田先生の恩師の二十三回忌に思うの書簡、僧俗和合していくために、当時はあのような表現をせざるをえなかったんだと思いますよ。


第一回関西青年平和文化祭終了後、日顕から本山に呼び出しがあったので
何事かと思って登山すると、


「(文化祭の挨拶で) 日顕上人猊下と言ったが、なぜ「御法主上人猊下」と言わなかったのか!?」


と居丈高に言ったそうですよ。素晴らしい演奏演技をした青年たちには,なんのねぎらいの言葉もなかったのだとか。


そういうことを言うために、わざわざ本山に呼び出す幼稚な日顕の相手をしながら、僧俗和合に全力をそそがなければいけなかったのだから、当時の先生は相当、精神的にきつかったはずです。


もともと学会が宗門からの独立をたくらんでいたことはなかったと思います。
1990年の12月の年末に宗門が文書で一方的に先生の総講頭罷免してきた翌年の1月に、話し合いをしようと学会首脳がわざわざ登山しているんですよ?もともと独立をたくらんでいたのなら、こんなことはしないでしょう。


宗門は、話し合いには一切応じなかったのだから、僧俗和合して進もうなんて気はサラサラなかったってことですよね。


折伏もせず、遊興にふける堕落した全国各地の坊主たちを、当時の学会員さんは何度も目撃しています。宗門は、小欲知足をうったえる、うるさい学会がうっとうしくなった。


「金はじゅうぶんたまったから、うるさい学会はもう切ってもいい」


それが本音だけど、表面上は「教義逸脱だの、三宝破壊だの」を学会を切る理由にしておかないとまずい。そんなところでしょうか。


(追記)


「戸田先生の御指導について」


一つ一つのご質問に、すぐに返答できず時間がかかる場合がありますので、ご了承ください。


思索し、熟慮し、真剣に唱題してからコメントの返信をしています。
そうでないと、お相手に失礼だと考えるからです。