2023年10月のブログ記事
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「戸田先生は、ご自身の事業が行き詰ってしまった要因の一つは、自分が第二代会長になるのを避けてきたことにあると、私に語ってくださいました」 その時、戸田はこう言ったのである。 「私は、牧口先生の意思を受け、会長として立って、広宣流布の指揮を執らねばならぬことは、よくわかっていた。しかし、会長職の責任... 続きをみる
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「もし、学会に批判があるなら、ただ文句を言っているのではなく、君が自分で理想的な学会をつくっていくことだ。私もそうしてきた」 「自分は傍観者となり、ただ批判をしているだけでは、破壊ではないか。主体者となって立ち上がろうとしなければ、自分の成長も広宣流布の建設もない。同じ一生ならば傍観者として生きる... 続きをみる
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自力で出来ないことは多い。 今自分の着ている服は誰がつくってくれた? 美味しいコンビニのコーヒーが飲めるのは誰のおかげ? 美味しいご飯が食べれるのは、お百姓さんが一生懸命に稲を育ててくれたから。 今乗っている愛車は、何人の手にかかり出来たのだろう。 車が故障したとき、修理してくれる人。 いろんな話... 続きをみる
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「だいたい退転したり反逆するのね、表だけ一生懸命やる。陰にいると何もしない」 「戸田先生の指導、人の偉さというのは多くの人の前で号令するのが偉いのではない。自分は陰にいて、人をたてることが出来る人が偉いのである」 「(ミシェル・ネイ将軍の)30代から40代前半の活躍は目覚ましい。勇者の中の勇者とい... 続きをみる
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「私は歳23で、やすよという子供を亡くしました。女の子であります。抱いて寝ました。死骸を一晩わしは抱いておりました。冷たいもんですなあ、死んだ子供ってのは。そのころまだ御本尊さんを拝みませんから、もう悲しくて抱いて寝まして、そして別れて今わしは58.。数えですよ。彼女がおればです、彼女だよおい(笑... 続きをみる
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戸田先生質問会・第3弾・#sokagakkai #ご指導 #joseitoda #戸田城聖 #daisakuikeda 亡くなった人に追善を続けたほうがよいか。(生まれ変わっている場合でも続けたほうがいいのか) 戸田先生の答え 「もう生まれてきているんだから、やめてもええような気がするんだが、それ... 続きをみる
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山崎正友の出身地・岡山県は「真言王国」といわれるほど、真言宗の家系が多い。 真言宗の害毒と言えば、一家の柱が早逝、男子が病弱だったりの他、生命の傾向性としては、人を見下したり、嘲笑ったりする生命が強く、傲慢、虚言、詭弁、下剋上気質。 【一切の真言師は大日如来をたのみて、「教主釈尊は無明に迷える仏、... 続きをみる
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山崎正友元学会の顧問弁護士。岡山県岡山市出身。 京都大学法学部に在学中、正友は病気に悩まされていたところ折伏を受けた。山崎家は真言宗の家系で、真言の家系は、一家の柱である男性が早逝したり、病弱だったりする宿業があり、山崎家も例外ではなかった。 正友は、折伏を受けたもののなかなか入信しようとせず、皆... 続きをみる
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「百年前及びその後の学者共が望んで手をつけない『価値論』を私が著し、しかも上は法華経の信仰に結びつけ、下、数千人に実証したのをみて驚いている。これ故、三障四魔が紛起するのは当然で、経文通りです」(牧口常三郎全集・第10巻P300 原文は仮名) 牧口は、日蓮仏法に創価教育学説の中心思想である価値論を... 続きをみる
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【生死をいで仏にならんとする時には、かならず影の身にそうがごとく、雨に雲があるがごとく、三障四魔申して七つの大事出現す。たといからくして六つはすぐれども、第七にやぶられぬれば、仏になることかたし】 (生死をこえ、仏になろうとするときには、必ず影が身にうように、雨に雲があるよるように、三障四魔といっ... 続きをみる
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法難を回避することはできない。ゆえに大聖人は「日蓮が弟子等は臆病にては叶うべからず」(全・P1282)と叫ばれたのだ。しかし、大聖人門下のなかにも、正義ゆえに大難が競い起こることを、受け止められぬ者がいた。師である大聖人が、竜の口の法難、佐渡流罪と、命に及ぶ大難に遭うと、恐れと、師への不信感をいだ... 続きをみる
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「また、大聖人は御書の随所で、『行解既に勤めぬれば三障四魔紛然として競い起る』(全・P1087)との、天台大師の言葉を引かれ、本気になって信心していれば、それを妨げようとする障魔が競い起こると断言されているんです」 仏道修行に励めば魔が競い起こると、覚悟を定めることこそ、信心の第一歩である。 「経... 続きをみる
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「牧口会長のあの確信を想起せよ。絶対の確信に立たれていたではないか。あの太平洋戦争のころ、腰抜け坊主が国家に迎合しようとしているとき、一国の隆昌のためには国家諌暁よりないとして、『日蓮正宗をつぶしても国家諌暁をなして日本民衆を救い、宗祖の志をつがなくてはならぬ』と厳然たる命令をくだされたことを思い... 続きをみる
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戦時中「神本仏迹論」の邪義を唱え、軍部と結託し、日蓮正宗内を混乱におとしいれた悪僧・小笠原慈聞。彼の暗躍は牧口先生の獄死の因となった。 日蓮宗身延派との合同を画策、「水魚会」の一員となるも、牧口先生は合同反対の意思を表明、日蓮正宗は単独認可された。小笠原は合同の失敗を「宗門の恥辱」とし、1941年... 続きをみる
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「失礼ながら御僧侶方の大概は御妙判と称して御書やお経文によつて説明はして下さるが現証によつて証明して下さらないのを遺憾とする。しかも川向かいの火事を視るが如く真理論でやるが、日常生活に親密の関係の価値論でそれをやらないから無上最大の御法も十分に判らう筈がない」 「魔が起らないで、人を指導してゐるの... 続きをみる