極悪と戦えば極善となる

 「破邪顕正」謗法呵責をメインに記事を綴っていきます。なお、コメント欄に初投稿する場合は、軽く自己紹介をするようにお願いします。管理人が非常識、悪質なコメントと判断した場合、削除させていただくこともありますのでご了承ください。

2024年2月のブログ記事

  • 思いっきり泥ぬってるよね?

    小樽問答は戸田先生が引き受けられた法論なのに、学会側を「チンピラ集団」「反社」と揶揄。これが感想?!(笑) 思いっきり戸田先生の顔に泥ぬってるじゃん(笑) あなたがわざわざ創価カテにきて、何をしたいのかさっぱり理解できない。 胸襟対話とは名ばかりで、学会を「反社」「チンピラ集団」「新興宗教」とディ... 続きをみる

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  • 小樽問答で質問していた日達上人

    鯛焼き支部長さんのブログで「日達上人(当時細井庶務部長)が小樽問答の現場で質問をしている」との支部長さんのコメントがありましたので、再び一部抜粋させていただきました<(_ _)> 【当時は細井庶務部長とのことですが、後の法主ですからね。その方が現場で質問もしている!この事実は大きいですよ。もし法論... 続きをみる

  • 小樽問答 日達上人の言葉

    鯛焼き支部長さんのコメントより一部抜粋 「・・・小樽問答の後、年一年と身延派の衰退がいちじるしいのである」 「当時、創価学会の青年たちが慎重に事を運んでいったのに、身延派の人々は学会を侮り、身延から所謂学者ふたりをかんたんに連れてきて討論したのである。ついに学会の大勝に帰し、身延派は完膚なきまでに... 続きをみる

  • 批判している自覚ないの?

    【別に小樽問答で学会批判をしているわけではないんですよ】 先日のコメント欄 「反社かチンピラまがいの集団みたいで」 「法論に圧勝ではなくて喧嘩ですね。輩の喧嘩ですね」 「確かに今の学会員さんにも似てますね、ヤジの達人(笑)」 ↑がっつり学会批判されてますよね(笑) 小樽問答の学会側の野次を取り上げ... 続きをみる

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  • 小樽問答について

    音声を聞きました。双方の野次の応酬で聞きづらいところもありましたが、激しい野次は身延サイドからも飛んでいるし、当時の時代背景も考えず、安易に学会側を「反社」呼ばわりして「チンピラまがいの集団」と揶揄するのは、いかがなものかと思いますね。 小樽問答以降も、創価学会の果敢な折伏により、日蓮宗から日蓮正... 続きをみる

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  • 悪質な印象操作

    小樽問答を取り上げてまるで「学会は反社である」かのような、悪質な印象操作はやめてほしいですね。 そもそも、最初に日蓮宗の僧侶が、 「あんたら(学会員)と法論するよりも、その総本山から来る日蓮正宗の僧侶と法論する方が事がはっきりするじゃないか。いっそのこと、僧侶と僧侶で法論することにしようじゃないか... 続きをみる

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  • 信念を貫き牢獄で殉教した竹内八右衛門

    明和七年(1770年)末、前田藩は、また領内での富士大石寺の信仰を禁止する法令を出し、信徒の中心者と見られた西田丈右衛門、竹内八右衛門ほか、七、八人が閉門(門を閉じて出入りできない刑)などの実刑にあっています。その多くは、陪臣(前田家の家臣の家来) か足軽の身分の人たちでした。 三年後に閉門が許さ... 続きをみる

  • 金沢法難

    加賀国金沢(現在の石川県金沢市)に富士門流の信仰が弘まったのは、五代藩主・前田綱紀の代に、江戸藩邸の近くにあった常在寺で正法を聞いた藩士の中から入信したものが出て、金沢へ帰って弘教したことから始まったとされています。 寛文三年(1726年)ごろ、福原次郎左衛門らが最初に入信して弘教に励み、主に下級... 続きをみる

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  • 信徒が僧侶の邪義を打ち破った尾張問答Ⅲ

    その後、十月二十五日、十一月二日、十一月十日の三回にわたって、増右衛門、利蔵、右京の三人が、法華寺において、寺社奉行所の役人の監視のもとに、日蓮宗各派の役寺の高僧七人と対論しています。 寺社奉行としては、役寺(藩からの寺院に関する法令を伝達する役目の寺)に命じて三人を教化・改宗させようとしたもので... 続きをみる

  • 信徒が僧侶の邪義を打ち破った尾張問答Ⅱ

    天保八年(1837年)の秋に、再び迫害がおこっています。文政の法難で御本尊を取り上げられたことで警戒した信徒たちは、仏壇の正面には涙をのんで檀那寺からの仏像を並べ、その陰に御本尊を安置していました。ところが平松増右衛門は仏壇改めをされ、そのまま名古屋の寺社奉行に呼ばれ、長期にわたる取り調べを受けま... 続きをみる

  • 信徒が僧侶の邪義を打ち破った尾張問答Ⅰ

    尾張国(現在の愛知県)の名古屋とその近在でも、民衆による弘教が進みました。 幕末に近い文政五年(1822年)ごろ、江戸の目黒に住む信徒・永瀬清十郎が、二年にわたって大石寺の末寺のない尾張地方へ行って弘教したのが、その発端となっています。 清十郎は若いころは日蓮宗一致派(身延派)の信徒でしたが、後に... 続きをみる

  • 拷問にも屈しなかった農民 茂左衛門

    伊那・小出郷の農民・(城倉)茂左衛門は、代々の曹洞宗常輪寺の檀徒でしたが、近くの日蓮宗深妙寺の勧めで日蓮宗を信仰するようになり、宝暦十三年(1763年)、十九歳の時に、法華千か寺参りにでかけ、富士大石寺へ参詣して正法に帰依し、伊那へ帰って弘教を始めました。 やがて信徒が増加すると、茂左衛門は屋敷の... 続きをみる

  • 山田さんへⅡ

    「仮に日顕さんが大御本尊を偽物だといったとしたら、大御本尊を偽物だと思っているのに大御本尊を根本としなさいと信徒に心にも無いことを言っていたことになります。そうなると身口意の三業がバラバラです。もしそれが罪なら日顕さんが業を積んだだけの話ではないでしょうか?僕の成仏には関係ないです」 えー?! 「... 続きをみる

  • 論点ずれてません?

    「仮に池田先生が書写した本尊は本門の本尊となるのか」とか「原田会長が書写した本尊と大聖人直筆の本尊と差異はあるのか」とかの質問は、論点ずれていませんか?(笑) 池田先生や原田会長は御本尊書写してもいないのに、どうしてそういう極端な発想になるのか謎です。

  • 法主絶対論に毒された人たち

    【時の貫首為りと雖も仏法に相違して己義を構えば之を用う可からざる事】                             (日興遺誡置文) 【予が老耄して念佛など申さば相構えて諫むべきなり、其レも叶はずんば捨つべきなり】           (富士宗学要第第十一巻より 日興上人が言われたと伝え... 続きをみる

  • 貫首が大石寺を捨てて廃寺の危機に

    大石寺十七世貫首・日精は大檀那の敬大院と仲違いし、大石寺を捨てて江戸・下谷の常在寺に退去した。その後、大石寺は貫首不在のまま三年の月日が流れた。 日精から付属を受けた十九世・日舜(十八世日瑛は早々に死去)の伝記には、 【精師(日精)と大檀那(敬大院)が仲違いして、精師が富士を退去して江戸・常在寺に... 続きをみる

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  • 貫首の「造仏読誦」は許されるのか

    大石寺十七世貫首日精の時代、敬台院により二天文や総門、御影堂などが建立寄進され末寺も増加したために、形の上では宗門は繁栄したように見えていた。しかし、堀日亨は「富士宗学要集」第九巻P69に以下のように述べている。 【日精に至りては江戸に地盤を居えて末寺を増設し、教勢を拡張するに乗じて、遂に造仏読誦... 続きをみる

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  • 要法寺系貫首の「随宜論」

    前の記事にも書いたが、大石寺では人材不足で京都要法寺から貫首をスカウトした時期があった。その期間およそ100年。大石寺十五代日昌~二十三代日啓までの九代にわたる。 要法寺出身の大石寺十七世貫首日精は、十六世貫首日就の弟子となり、元和九年に阿波徳島の藩主・蜂須賀至重夫人の敬台院が江戸浅草の鳥越に建立... 続きをみる

  • なぜ学会は三代会長を師匠を仰ぐのか

    牧口先生、戸田先生、池田先生の【死身弘法の恩徳に報恩感謝申し上げ】と創価学会の 御記念文にはある。 死身弘法とは・・・章安大師の「涅槃経疏」第12巻にある、仏法流布の精神を示しもので、身を賭して法をひろめること。身を死(ころ)して法を弘む、と読む。 【弟子は弟子の道を守らねばならぬ。ことばも、実行... 続きをみる

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  • 「第一義悉檀」と「対治悉檀」は一体不二

    斉藤 正義を示す「第一義悉檀」と悪を打ち破る「対治悉檀」は一体不二ですね 名誉会長 その根本はやはり「慈悲」です。大聖人は「開目抄」で、ご自身が折伏を行じ      諸宗を厳しく破折されている意味を涅槃経を解釈した章安大師の言葉を引いて      示されている。 森中  拝読します。    『仏法... 続きをみる

  • 魔性と戦うー対治悉檀

    斉藤 折伏のもう一つの特徴「魔性と戦う」という側面についてですが 名誉会長 「如説修業抄」等には「法華経の敵を責める」と仰せです。この点について、      誤解のないように一言しておきたい。誤った教えに執着している人は、たとえ      正しい教えが示されても、かえって反発し、誤った教えへの執着... 続きをみる

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  • 「事顕本」と「理顕本」Ⅳ

    名誉会長 しかし永遠性といっても完全に永遠ではない。(久遠実成の釈尊が)      どこまでも「有始」(始めがある)の仏です。だから無始無終の宇宙即妙法と      一体とはいえない。すき間がある。ゆえに文上の仏は「法勝人劣」です。      (法が勝れ人が劣っていること)      寿量品の真意... 続きをみる

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  • 「事顕本」と「理顕本」Ⅲ

    名誉会長 御本尊の相貌は、中央の「南無妙法蓮華経 日蓮」の脇士として、釈迦如来      と多宝如来が示されている。そのまた脇士として地涌の四菩薩が示され、重々      の脇士になっている。事顕本は、この脇士の「釈迦如来」の一身のことです。      五百塵点劫という、はるかな昔に成仏しましたと... 続きをみる

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  • 「事顕本」と「理顕本」Ⅱ

    遠藤 ただの「隠居じじい」だと思っていたら(笑)じつは「前の天下の副将軍だった」と    (笑)たしかに顕本です。 須田 悪人はぎょっとして腰を抜かし(笑)善人は大喝采。これは「顕本」の功徳ですね。 名誉会長 もちろん譬えていえば、です。外国の小説でいえば、巌窟王として有名な      「モンテク... 続きをみる

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  • 「事顕本」と「理顕本」Ⅰ

    斉藤 「一切衆生が如来である」という点についてですが、まず寿量品の「発迹顕本」を     ふり返ってみます。釈尊が今世の修業で成仏したという「始成正覚」を否定して    じつは五百塵点劫の昔から娑婆世界で説法し続けてきたと明かします。これを    「事顕本」と呼ぶ場合があります。 名誉会長 「理顕... 続きをみる

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