極悪と戦えば極善となる

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教学部長時代から折伏を行じようとしなかった日顕Ⅰ

山本伸一は、この四月も関西に足を運び、五日には、創価学会が建立寄進した、京都市右京区の平安寺の落慶入仏式に参列した。二月の京都本部の落成に引き続いて、正宗寺院も建立されたとあって、京都の会員の喜びも大きかった。平安寺は、鉄筋コンクリート三階建ての近代センスと重厚さを備えた大寺院であり、住職は、宗門の教学部長で、海外初の‘’出張御授戒‘’に派遣された、あの阿部信雄であった。


会員たちは、名刹といわれる他宗派の寺院がひしめく京都に、日蓮正宗の大寺院が建立されたことに、自信と誇りをいだいた。しかも、住職が阿部信雄と聞いて、心から喝采を送り、語り合ったのである。


「阿部先生というたら、宗門の教学部長さんで、世界広布のためにアメリカの‘’出張御授戒戒‘’に行かはったお方やろ。それに、何代か前の猊下様の息子さんやそうな」


「ほんまにすばらしい方が来てくれはったな。猊下様の息子さんやったら、‘’破邪顕正‘’
‘’死身弘法‘’の大聖人の御心通りに、この京都で大折伏戦を展開しはるんやろうね。やがていつかは、東本願寺も、西本願寺も、清水寺も大徳寺も、京都中の寺が、みんな大聖人の仏法に帰依するようになる日がくるんやね。私たちも頑張らなあかん」


当時、まだ阿部の正体は誰もわからなかった。
純粋な学会員の、彼に対する期待は、あまりにも大きかったのである。
                 (新・人間革命7巻P374~操舵の証より)