極悪と戦えば極善となる

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要法寺から揶揄された大石寺

大石寺では人材不足で、京都要法寺から貫首(法主)をスカウトした時代があった。
第十五世日昌~第二十三世日啓の九代、約百年の間である。


その間、要法寺系の貫首・第十七世日精は【造仏読誦】釈迦仏像をつくり末寺に安置し、法華経一部二十八品を読誦するなどの謗法を犯した。日精の件は、貫首であっても謗法、間違いを犯してしまう可能性があることの事例である。


さて、約百年にわたって大石寺は京都要法寺出身の貫首が続いたわけだが、
大石寺は、その要法寺の僧からこう揶揄されている。


【京都要法寺は少しも他山の寺をもって相続していない。日蓮、日興、日目、日尊の師弟相伝の本家である】


【大石寺に貫首となる人がいないため、願いにまかせて要法寺より大石寺貫首に遣わした人数は、大石寺第十五代日昌上人~同第二十三代日啓上人の九代である】


【大石寺の相続人に要法寺より人を送って、大石寺の役に立つようなことをしてあげたことを忘れて、要法寺を大石寺より悪口するのは、恩を知らない畜生である】


なお日精によって大石寺末寺に安置されていた釈迦仏像は、第二十二世日俊、第二十三世日啓によって取り払われたが、大石寺の僧が要法寺の「造仏」を破折したところ、逆に日精が「造仏」していたことを逆に指摘され嘲笑されたようである。


         (富士宗学要集七第7巻 参考文献 河合一氏著 暗黒の富士宗門史)