某占い師の矛盾した姿
彼は、占いやスピリチュアル、宗教などすべて「胡散臭いもの」として、めった切りにし、
同業の他の占い師や霊能者といわれる人々、宗教家のことも叩いているので、「唯物論者」かと思いきや、当の本人が占い師をし、宗教に入信しているという矛盾した姿をさらす。
この占い師は、自身の動画で「戸田先生の命令で、池田先生が創価学会の諜報部に所属、盗聴、尾行、張り込みなど探偵結社のような仕事をしていた」と何の根拠もない悪質な虚偽の発言をしている。
「悪徳占い師や霊能者、宗教家」と戦うスタンスをとっているが、自身が「嘘つき占い師」に堕しているのに気がついていない。「観相学」といって、偉そうに他人の人相を批評しているくせに、自分は仮面をかぶり、根拠なき誹謗中傷しているのは、卑怯極まりない。
以下、法華経の智慧 「死後の生命」への証言より
遠藤副教学部長 ミラー博士の二十年来の友人は(中略)
「彼は知的な業績を高く評価し、霊魂など子供じみたおとぎ話だと考えて
いた」そして、「合理的な説明」や「現実の局面で説明がつかないこと」
は、すべて「うさん臭いもの」と見る態度が習性となっていました。
「だが、死が避けられないものとなったときー彼を敬愛していた誰もが
驚いたことにー彼には何の手段も、慰めも、心を癒す思想もないことが
はっきりした。自分が直面しているものや行く手にある現実について、
考えをめぐらせるどころではなく、ひたすらふるえて怯えているだけだっ
た。
死についても、その意味をとらえようとはせず、したがって安らかさや安心
感にはほど遠い状態だった。「死が避けられないことを知ったとき」、
彼の心にあったのは「まったくの恐怖だけだった」というのです。
まるで、この占い師の未来をみているようである。
続いて、池田先生の御指導
名誉会長 それが現実でしょうね。仮に、死でいっさいが終わりだと信じ、最後まで
その信念で生きぬくことができる人がいたとしよう。しかし、自分の身近な
家族が死に直面して苦しんでいる時、その人はどんな癒しを与えられる
だろうか。彼の信念、死生観が果たして希望となるだろうか。
仏法で説く三世の生命観は、自分に希望をもたらすだけではない。
人をも励まし、勇気と希望を与えゆく生命観なのです。
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