極悪と戦えば極善となる

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日顕の弱み 血脈相承の問題

 山崎(正友)は日顕の弱みー血脈相承の問題を自分がどうにでもできると売り込んでいるのである。十余年前は、徹底して血脈相承を否定していたのに、その言葉を覆すー。その目的は、自らの欲得を図ることしかない。


 山崎は「慧妙」(H7・2・16)に、「私が‘’御相承‘’を拝信するに至るまで」と題し、次のように書いている。


「日顕上人猊下の‘’御相承‘’について否定した『週刊文春』の見解は、今日では、認識不足であり、大きな誤りであった、との結論に達した」


と前言を翻している。


 日顕に血脈相承なしとした、かつての『週刊文春』の山崎の見解は正しい。


 山崎は平成九年の正月、正信会を離れ日顕の側につくにあたって、浜中(和道)に挨拶の電話を入れている。


「でも、俺は、阿部から『嘘つきだ』って言われたことを忘れたわけじゃないよ。誰が忘れるもんか!あん畜生、必ず仕返ししてやるよ。俺を見損なうなってんだ。それじゃ、長い間、お世話になりました」(浜中和道 回想録より一部抜粋)


 このような男に血脈相承の存在を証明してもらわなければならない日顕。
誰がどう見てもニセ法主である。


「金口嫡々唯受一人血脈相承」「法灯連綿700年」どれも聞きごこちのいい言葉である。
しかし、史実とは違うこうした言葉を金科玉条としている限り、‘’法主‘’は権威の塊となり
「現代における大聖人様」(「大日蓮」H3・6月号)となる。その権威の権化となった‘’法主‘’に魔が入り、大石寺一山のみならず末寺に至るまですべてが魔の巣窟となる。


                 (北林芳典著・『暁闇』より一部抜粋)