極悪と戦えば極善となる

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教学部長時代から折伏を行じようとしなかった日顕Ⅲ

京都では、腐敗、堕落した日本の仏教界を象徴するかのように、他宗派の住職らが、そうした遊びをすることは珍しくなかった。しかし、学会員は日蓮正宗の僧侶に限って、そんなことは絶対にないと確信し、周囲の人びとにも、そう断言してきた。日興上人の門流として、小欲知足の伝統を守り抜いていると、固く信じていたからである。


学会員のなかには、料亭の従業員もいたし、さまざまな職業の人がいた。その人たちが、阿部の放蕩の現場に出くわすことになるのである。皆の衝撃は大きかった。


‘’私たち学会員が、生活を切り詰めに切り詰めて、供養した浄財を、こうしたことに湯水のごとく使う・・・・。まさに『法師の皮を著たる畜生』(全P1386)ではないか!‘’


失望のあまり、茫然と立ちすくむ人もいれば、悔し涙を必死にこらえる人もいた。
しかし、会員たちは、それを自分の心に秘め続けてきた。


‘’僧俗和合して広宣流布に進もうとしているのだから、事を荒立ててはいけない。自分が目をつぶっていればよいのだ‘’


と考えてきたのである。


ところが、その後、阿部がしてきたことを思えば、彼は、法師の皮を著た「畜生」どころではなかった。後年、法主の座についた彼は、仏子の団体である創価学会を壊滅させ、宗門が直接、学会員を操り、支配しようと、学会を日蓮正宗から破門し、さらに宗門興隆の最大の功労者である山本伸一を信徒除名処分にするのである。まさに、広宣流布の破壊であり、「第六天の魔王」の姿を露呈していくことになるのである。
                  (新・人間革命7巻P377~操舵の章より)